thousandgrass’s fields

一日一生の毎日を。

死生の対話の場「カフェあの世この世」in May のご案内('18 5/12 14:00-16:30@浅草橋)

皆さま、ごきげんよう

日本ではGW後半に入りましたね!皆さまいかがお過ごしでしょうか?

5月の嵐は「メイストーム」っていうのですね(まぁそのままですけどね)。

 

さて、以前「カフェあの世この世」をはじめました、という記事をアップしました。

 

thousandgrass.hatenablog.com

 

「カフェあの世この世」は、死にまつわる様々なテーマについて語り合う対話の場で、いわゆる「デスカフェ」の一つです。

www.facebook.com

 

前回は初めての開催ということで、トライアル的な意味もあったのですが、ご参加者の皆さまのお陰で良い対話の場となったと思いますので、この度本格的にスタートすることとなりましたので、ご案内させていただきます。

 

死生についての対話やデスカフェにご興味のある方は是非ご検討くださいませ。

そして、どうぞお気軽にご参加ください。

私も世話人の一人として参加いたします。

 

www.facebook.com

 

カフェあの世この世 in May 

日時:2018年5月12日(土) 14:00 - 16:30

会場:浅草橋のカフェ(浅草橋駅から徒歩5分程度)

 

定員:15名(先着順)
参加費:1,500円(遅刻 or 途中退席でも全額申し受けます)

*カフェは14:00〜16:30頃の予定で行いますが、遅刻または途中退席OKです。

 ご参加希望の方は、以下のアドレスまでe-mailにてお申込みください。
先着で15名までの方に会場の詳細をお知らせします。

 cafe◆ltn288.net 

*メールアドレスは◆→@に書き換えてお送りくださいませ

**@の後のアルファベットは、l(エル)t(ティー)n(エヌ)です

 

件名に「カフェあの世この世 in Mayに参加希望」とお書きいただき、下の内容をお知らせ下さい。

・お名前
・ご連絡先

折り返し詳しい場所のご案内メールをお送りさせていただきます。

 

当日は以下のテーマのうち1つを参加者全員で相談して選んで対話します

参加者全員でのテーマ決めは対話のウォーミングアップにもなりますので、このような形式の対話やデスカフェに初めて参加される方でも、まったく問題なくご参加いただけます。

 

◆「弔いとは何か?」
直葬(通夜・葬儀を省略して火葬のみの葬送の形)、無縁墓(継承者不在で放置された墓)、墓じまいなどがニュースで取り上げられたり、仏壇を置かない、位牌を持たないという考えの人も増えつつあったり?と、日本人の死生観の変化を指摘する声が目立ち始めました。
では、そもそも弔い、供養とは何か。大切な人が亡くなったら自分はどうしたいのか。など、さまざまな視点から「弔い」について語り合いませんか?


◆「他人の命/自分の命を左右できるのか」
>4月初旬、評論家の西部邁さんの死後、自殺をほう助したとして2人が逮捕されたニュースが世間をにぎわせました。また、著名な脚本家が安楽死したいと表明したこともありました(その後、発言を撤回)。
他人の命、自分の命を、他の人が、あるいは自分自身が、左右できるのでしょうか。命を断つというだけでなく、本人の意思を無視した延命治療も、命を左右するという意味では同じ延長線上にあるのかもしれません。命を左右できるのか、語り合いませんか?

 

どちらも興味深いテーマだと思いませんか?

前回はテーマ決めから参加者全員での面白い話し合い(対話)がスタートしていました。

他者の話や考えを聴くというのは、とても面白い行為です。自分では全く考えもつかなかった意見や考え方が出てきますし、へぇー、ほぉーと目から鱗が落ちたりしますし、文字通り「対になる」話ほど面白いものです。

 

そもそも死にまつわる様々なテーマには答え、正解というものはありません。

そして、対話は決して一つの答えを導き出すのではなく、「対になる話」をみんなで喧々諤々しながら熟成、発展させていき、知見を広げたり、みんなで新しい思考を導き出していくという面白さやワクワク感があるものだ、というのが前回を終えてみての私の感想です。

 

決して難しいものではなく、自分の考えを自分の言葉で語る、そして対になる他者の話にも耳を傾けるというのも面白いチャレンジですし、是非対話の面白さを多くの人に体験していただきたいと思います。

 

くわえて、死にまつわる様々なテーマ、死生のアレコレというのは、私たち全員にかかわることでもあるにかかわらず、なかなかオープンに話しをする機会がありません。

しかしながら、誰にとっても「わたくしごと」であるはずの死生のことについて、みんなで考えてみる、考え続けてみるということはとても大切なことだと考えています。

「死」が忌避されて私たちから遠ざけられている現代の日本だからこそ、年齢や性別、経験、立場等に関係なく死について真正面から対話することの意義があると思います。

 

今後も定期的な開催を予定しておりますので、今回は残念ながらご参加いただけない場合でも、ぜひ次回以降にご参加いただけますと幸いです。

 

何より「カフェあの世この世」は、参加者全員で創り上げていく対話の場です。

あなたのお越しを心よりお待ちしております。当日会場でお会いしましょう。

そして、一緒に対話を楽しみましょう!

 

Thanks,

Chigusa

 

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デジタルペーパーで研究を快適に。

皆さま、ごきげんよう

日本はGWですね。気候も良くて清々しい気分になります。

日頃よりは時間がとれそうなので、この際にじっくり英語論文を読もう!と意気込むのですが、アメフト(早慶戦生中継)が面白かったり、撮りためている海外ドラマも観たいし、なかなかねーと言い訳ばかり考えつきます。

 

さて、新学期に入ってから、そんな私にピッタリな?デジタルペーパーという機器を主に研究用に使い始めています。

あくまでも個人的な感想ですが、研究が快適になる機器の一つだと思います。

 

私が使用している機器は↓の商品です。

www.sony.jp

ソニー デジタルペーパー dpt-rp1

ソニー デジタルペーパー dpt-rp1

 

 

大きさはほぼA4サイズで、なんといっても軽いのが快適です。

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今度A5サイズが発売されるみたいですね。

研究でもお仕事でも基本的にA4サイズのドキュメントを読むことが多いので、A4実寸サイズというのは馴染みがいいと思います。

 

研究では文献を読む機会が多くあるのですが、私はこれまで文献を全て紙に印刷して読んでいました。

PCで読むのはスクロールが必要だったり、老眼だったり目が疲れたりするのと、マーカーを引いたり、メモを書いたり、付箋をつけながら読むことが多いので、どうしても紙に印刷していました。

当然その分紙やインクを消費しているし、何よりゼミや講義のために複数の文献を持ち歩くと紙って意外と重いんですよね。移動時に文献を読むのもかさばるし。

紙のファイルをするにしても溜まってくると場所をとるし、当該の文献を探して読み返すのもひと苦労でした。

 

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Cvinar, J. G. (2005). Do suicide survivors suffer social stigma: A review of the literature. Perspectives in Psychiatric Care, 41(1), 14-21.

 

デジタルペーパーに印刷(「印刷」するとpdf.形式で保存)するようになって、

・当然のことながらペーパーレス(エコ)

・複数の文献を持ち歩いても重くない

・ファイリングが楽、当該の文献をすぐに探し出せる

・おそらく目にも優しい(読み易い)

というわけで、文献を読むストレスが減ったといえます。

 

くわえて

・マーカーを引ける

・書き込める

ので、紙に印刷した時の利点がそのまま再現できるといえます。

モノクロでしか表示できないのは残念な点ですが、慣れれば気になりません。

本商品はpdf.文書を読むことに特化されているので、タブレットとの使い分けは好みが分かれるかもしれません。

文献を読む+書き込む→ファイルしていくという研究上の作業には向いていると私は思います。

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Cvinar, J. G. (2005). Do suicide survivors suffer social stigma: A review of the literature. Perspectives in Psychiatric Care, 41(1), 14-21.

 

そして私が何より便利だと感じているのが、

・手書きの☆印、*印を認識して検索してくれる

という機能です。

 

文献を読んでいてマーカーとか書き込みが多くなると、後からどの箇所が重要だったのか、どの部分を引用したいのか、結局よく分からなくなっていたりします。

これを痛感したのが、修論文末の引用文献リストを作成するときでした。

引用した文献は管理してあるものの、どの箇所を引用したのかを再確認するのに意外と苦労しました💦

そこで、重要な部分には*印、引用箇所には☆印というように自分なりの使い方を決めておけば、後からの検索が容易にできるのは便利だろうと思います。

 

それから、文献の余白だけでなく、サイドノートを作成できる機能も便利です。

このまま研究ノートの一部として保存できるのはいいですね。

右側の手書きノートは固定表示したまま、左側の文献はページをめくれます。

自分なりの文献のまとめや構造化抄録を作成しておいても良いかもしれません。

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Cvinar, J. G. (2005). Do suicide survivors suffer social stigma: A review of the literature. Perspectives in Psychiatric Care, 41(1), 14-21. 

 

そして、文献等を読むだけでなく、新規でノート(各種テンプレートあり)を作成できますので、文字通りゼミノートや研究ノートを保存しておけば、やはり当該箇所を探したり、見返したりするのが楽です。これも紙にはない快適さです。

その他、PC上のファイルとデジタルペーパーのファイルを自動同期できたり、手書きのノートをpdf.で出力できたり、いろいろと便利な機能があります。

 

というわけで、今年度からの博士後期課程の研究はデジタルペーパーを活用して効率化を図りたいと思います。

 

研究だけでなく、お仕事でもパワーポイント等の資料をデジタルペーパーにpdf.印刷しておけば打合せ時に書き込みが可能ですし、履歴をすぐに探せるので会議メモ、議事録としても適しているのではないでしょうか。もちろん職場のペーパーレスになるので、コスト削減にも繋がりそうです。

 

と、利点ばかりを述べてきましたが、前職場の商品ではあるものの、決して回し者ではありません。

今後も良い商品の開発と発売に期待したいと思います。

 

ただ、デジタルペーパーで研究が快適になることと、研究が順調に進むことは別でしょうね。

研究が地道であることには変わりはないでしょう。

というわけで、このGWもデジタルペーパーで地道に文献を読み進めたい次第です。

 

皆さまも良いGWを!

 

Thanks,

Chigusa

 

 

 

 

 

 

ILC(国際リニアコライダー)ってなんですか?

皆さま、ごきげんよう

新年度、新学期が始まってからなんだかもう随分経ってしまいました。

 

いろいろ書きたいことがあるのですが、今日は最近知った面白い話題を。

 

ILC(国際リニアコライダーって知っていますか?

私は今まで全く知らなかったのですが、とあるご縁でILC Supporters発足の発表会に参加させていただきました。

 

発表会のことは報道されていますのでご覧になった方もいるかもしれません。

www.jiji.com

 

国際リニアコライダー計画については私が説明するよりも↓コチラを。

aaa-sentan.org

 

このILC計画を応援していきましょうというのが、ILC Supporters発足の主旨です

ilcsupporters.jp

 

その一部を転載させていただきますと

宇宙誕生の瞬間「ビッグバン」を再現するリニアコライダー

宇宙のナゾを解き明かす突破口となる実験装置が「リニアコライダー」です。
全長約30キロメートルに及ぶトンネルのなかで、光速に加速された電子とその反物質である陽電子のビームを正面からぶつけると、その超高密度のエネルギーの衝突の中に「宇宙の誕生から1兆分の1秒の世界」が再現されることは世界の物理学者たちの共通認識となっています。
つまり、リニアコライダー計画とは、約140億年前に起こった宇宙創生̶̶ビッグバンの瞬間をこの地上で再現しようという実験なのです。
現在、素粒子と宇宙の最新の研究では、これまで真空だと思われていた宇宙空間にはヒッグス粒子ダークマターダークエネルギーといった未知のエネルギーと物質が満ちていることがわかってきました。
さらに4次元を超える時空の存在も示唆されています。それらの正体が解明されると、わたしたちの世界の常識は一変します。

 

というわけで、正直正しい理解は難しいところですが、何やらロマンを感じる面白そうな試みだなというのは感じられるのではないでしょうか。

日本はこのILCを建設する最有力候補地となっているそうで、その誘致のために応援していきましょう!という活動です。

そのためには理解、周知が必要ということで、より多くの人がSupportersになることが期待されています。

 

 

ところで。

実は私も以前から素粒子とか量子力学に興味を持っておりました。

特に、「シュレーディンガーの猫」のお話が面白くて、大好きなんです。

 

youtu.be

 

そこでよく話題にするのが

「死んでいない」

ということばの意味。

死んではいない(生きている) のか 死んでしまって今はもういない(死んでいる) のか、その可能性が重なり合っているということを表しているように思うのです。

 

そして、更に興味深いのが観測することによって振る舞いを変える電子のお話。

不可思議なことが多くてなんだかワクワクします。

 

youtu.be

 

素人にはなんとも不思議なお話ですが、人が観察する、たとえば思いを馳せる、思考することによって、物事や出来事の行方が変わるのかもしれない、ということは感覚的に何となく理解できるような気がしませんか。

始めから出来ないと思っていればきっと出来ないし、出来ると思っていれば出来る可能性がある。とか、信じるものは救われる、みたいなことに通じるのではないでしょうか。

そんな人の思考や希望についてのお話はなかなか面白いですよね。

 

しかし世の中まだ分からないことだらけなんですね。

私はいま大学院で主に臨床死生学の研究をしていますが、それこそ人間科学なんてまだまだ分かっていないことだらけだし、人間に対して「分かる」という意味もよく分からないのかも?しれないですが。

知らんけど、って話です。w

 

いずれにしても、人知を結集してみんなで何かを解き明かしていこうという試みはとても面白いものです。

私もILC計画を応援したいと思います。

 

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お土産をいただきました。

ありがとうございました!

 

Thanks,

Chigusa

 

修士課程修了、そしてその先へ。

皆さま、ごきげんよう

桜が満開ですね。

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さて、この度無事に修士課程を修了し、人間科学修士の学位記を受領いたしました。

改めてご関係の全ての皆さまに感謝、御礼申し上げます。ありがとうございます。

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えんじ色(学士)の学位記はもとより、黒色(修士)の学位記を手にして、なんとも感慨深いものがあります。

それは、私は修士研究、修論執筆になかなか苦労したからなのかもしれません。

その結果として、修士の学位記を受領したことはとても嬉しくて幸せなことだとしみじみ思うわけですが、同時に別の想いが沸き起こることでもありました。

 

修了式で、総長、学科長、学部長の先生方からご祝辞を賜ったのですが、深く心に残るお話がいくつかありました。

 

「学びは終わるわけではない」

「『知る』とは実践してからこそ」

「関係とは有るか無いかではなく付けられるか付けられないか」

「速く行くなら一人で 遠くへ行くなら仲間と共に」

 

というような主旨のお話を賜り、改めて修士学位記を手にした意味を考えるわけです。

つまり、これからも学び続けて実践を通して社会へ還元していくこと、積極的に人や社会との関係性を築いていくこと、仲間と共に遠くを目指すこと。

今後はそんなことが大切なのだと深く胸に刻む次第です。

 

修了の喜びにつかるのもつかの間、4月からは博士後期課程の研究、TAとしてのサポート等が始まる予定です。

またいばらの道を進むのかと思うと自分でもよくやるなぁと思います。

しかしながら、自分が面白いと思うことをやり続けたり、何を?どうしたら?社会での実践として還元できるのかを考え続けることはとても刺激的ですし、人や社会との関係性を持ち続けて仲間と共に遠くを目指すのは挑戦であり、冒険のようでもあると思うのです。

 

まぁまた度々シンドイことがあることは容易に想像がつきますが、、、諦めないこと、やり続けることで、またその先の世界が開けることを信じたいと思います。

 

90歳以上の方に「人生を振り返って唯一後悔していることは何か?」と尋ねると、

「もっと冒険しておけばよかった」

と90%の人が答えたというアンケート結果があるそうです。

引用:ひすいこたろう(2005)、『3秒でハッピーになる 名言セラピー』、p.30

 

というわけで、これからその先へ向かって冒険してみようと思います。

その先にどんな世界が開けるのかを楽しみに、張り切って元気にいばらの道に突き進みたいと思います。

 

皆さまもいつも心に冒険心を。

そして一日一生の毎日を。

 

Thanks,

Chigusa

 

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死生の対話の場「カフェあの世この世」はじめました。

皆さま、ごきげんよう

だいぶ春らしくなったきましたね。とはいえ、朝晩はまだ肌寒い日がありますので、要注意ですね。花粉症をお持ちの方もお察しします。

私は猫アレルギーがあるので猫のいる実家に帰ると具合が悪くなっていたのですが、とうとう実家で飼っていた3匹の猫がみんな虹の橋を渡ってしまいましたので、寂しくもあります。

 

さて、表題の通り、このたび死生の対話の場「カフェあの世この世」はじめました。

冷やし中華はじめました」みたいになってしまいましたが、、、簡単にご紹介させていただきますね。

 

私はもともと市民のための死生教育のことを考えていたのですが(修論のテーマとしてはボツに)、市民の活きた死生のことは座学ではないよなぁと思い、どのような形が良いかを思案していました。

市民による市民のための死生の(お話ができる)場を設けてみたいと考えていたのです。

大学院でワークショップの講義を受講してみて、ワークショップも出来るかも?と思ったりしていました。(今後ワークショップも考えてみたいと思います。)

そんな中、東海地方での「死生学カフェ」に参加したことがきっかけで、ぜひ東京でも開催してみたいと思い、同じ意思をもつ仲間たち(世話人)と相談をするようになりました。

 

それから数か月を経て、このたび東京で「カフェあの世この世」の初回を開催することができました。

まずはご参加いただいた皆さまに、厚く御礼申し上げます。誠にありがとうございました。

初めての試みで至らない点もあったかと思いますが、何より全員の力で死生の対話の場を創り上げてみたこと、そして恐らく有意義な死生の対話ができたであろうことがとても嬉しかったです。

わりあい短期間で仲間(世話人)のチームで当初の構想をまずは実践に移せたことも、私にはとても嬉しいことでした。個人的に今年はチームの年だと考えていますので、チームで何かを生み出す喜びを味わうことはgreat!なのです。

 

「カフェあの世この世」は、死にまつわる様々なテーマについて語り合う対話の場です。(カフェあの世この世 趣旨書より)

 

ということで、「あの世(=死)この世(=生)」というネーミングも絶妙に言い得ていると思いませんか?

いわゆる「死生学カフェ」や「デスカフェ」の位置づけではあるのですが、「死生学」とか「デスカフェ」と書くとなんだか堅いし小難しそうだしとっつきにくい感じがするので、「カフェあの世この世」という命名を私はとても気に入っています。

 

命名の由来は以前の記事に書いてあります。

当時からこのような場を設けたい思いを綴っていましたので、今回実現に至ったことは念願が叶ったということになりますね。嬉しいし、人生って本当に面白いなぁ。

 

thousandgrass.hatenablog.com

 

今後もし夜の時間帯にお酒を飲みながらの開催が実現する運びとなった時には、もしかすると「スナックあの世この世」になるかも!?しれません。 乞うご期待です。

 

当日の対話のテーマは、予め2つのテーマ(この世のことorあの世のこと)を用意しておき、当日ご参加者+世話人を含む全員の話し合いで一つのテーマを選定することにしました。 

 

そして、今回選ばれたテーマは

「一人称の死・二人称の死・三人称の死」(この世のこと)でした。

 

全員でテーマを選ぶ話し合いから対話はスタートしていましたし、非常に興味深い話し合いになりました。

実は、私はもう一つのテーマ(あの世のこと)が選ばれるんじゃないかな?と思っていたのです。が、見事に私の期待は裏切られました。個人的には意外だったけれど、話し合いの過程は逐一なるほどなぁと感心しきり。テーマ選定のプロセスもとても興味深いものでした。

そして、「対話」ということばの通り、「対」になる意見が出れば出るほど、対話は興味深く面白くなるのだと実感した次第です。

 

本題の「一人称の死・二人称の死・三人称の死」についての対話は、はじめグループで、その後に全体でという流れでしたが、どちらも非常に興味深く、面白く、有意義な対話になったと私は思っています。

参加者全員が自由に自分の考えや意見を自分のことばで語り、それに対する反応や疑問が続いたり、別の視点でのお話も続々と出たりして徐々に対話の場が創られていく。

そのライブ感には良い意味で圧倒されましたし、私は静かにとても感動しておりました。私の未熟だった点につきましては、どうかご容赦くださいませ💦

 

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グラフィックファシリテート(板書の一種)も素晴らしかったお陰で、初回にしては良い対話の場になったのではないかと振り返っております。

なんだか手前味噌みたいになってますが、、、参加者全員のご理解とご協力、これまでのご経験、深い思慮と真摯で正直なご発言の賜物であったことは間違いありません。

 

全員が市民としての対等な立場(&初対面)で、死生についてそれぞれの想いをそれぞれのことばで対話する、という場面を目にする機会はこれまでなかなかありませんでした。

院ゼミなどの学術的な場とは違ったリアリティと説得力がありましたし、人と人との対話って、すごいエネルギーとか叡智とかが生み出されるのだなぁと感じました。

当初より専門家主導ではなく、市民主体での死生の対話が一つの目標でもありました。

 

テーマに対する異なる見方、捉え方、感じ方がまるで地層を重ねるかのように積み上げられて、全員の力でテーマに対する対話が形成されていったように私には見えました。結構幅広く多面的で彩のある対話になった気がします。

当初私が考えていたこととは想像もつかないようなお話にまで発展したことも、驚きであり発見でした。だから面白いのですよね、人と人とが交わるって。私にとっても、とても有意義な経験でした。

 

「死生」にまつわるお話は、タブー感があったり忌避的であったりして、市民の間で自由に語られることはまだまだ少ないのかもしれません。

しかしながら、「死生」のことは人間が全員関わる大切なことであろうと私は考えています。

全員が避けては通れないことなのに、堂々と話すことは避けられがちなのは何故なのでしょうか?

 

今後そんな疑問を払拭していける予感がしています。

「カフェあの世この世」は今後継続開催を見込んでおりますので、今回の反省点を活かしてこれからも大切に育てていきたいと思います。

いずれ皆さまのご参加をお待ち申し上げております。

 

Thanks,

Chigusa

 

 

 

 

 

ライブ感を味わいに出かけよう。

皆さま、ごきげんよう

東京では3月に入って急に春がやってきましたね。夕暮れの時間が遅くなったり、暖かい風が吹いたりすると、なんだかウキウキしてきます。

今年のお花見🌸はいつ頃ですかね?

 

さて、お陰様で無事に修士課程の修了が確定いたしました㊗。

改めまして研究参加者の皆さま、支えて応援してくださった皆さまに深く御礼申し上げます。本当にありがとうございました。

 

修論研究が辛かったことは度々綴ってきましたが、こうしてすべて終了すると安堵感や達成感は勿論のこと、若干ロス気味になるところが恐ろしいです。

一時は文献を読みまくるのも苦痛になっていたのに、修了が確定して春休みを満喫してもよさそうなところ、英語の文献でも読もうっかなー とかうっかり思ってしまうのは悲しい性なのでしょうか。

今のところ博士後期課程への進学を予定していますので、今回はあまり卒業(修了)という感じもしないのが正直なところです。卒業(修了)式には出席いたしますが、また数年間の苦行が待っているかと思うと、あまりはしゃげない今日この頃。

しかもここぞとばかりお仕事や夜の会食がドカドカ入ってくるっていう・・・。

私の春休みはどこへいっちゃったんでしょうか。

 

とはいえ、解放感に任せて方々へお出かけはするようになりました。

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急遽オーラスライブに参戦して♪相当えきさい、えきさい♪して、生中継の録画を♪(Re)play♪し、DMワールドに♪DIVE!♪しているのは自分でもかなり意外です。

 

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生まれて初めてマラソンの応援に行きました。

今まで興味があまり(全く)無かったのですが、来年は箱根駅伝の応援に行こうと思いました。

 

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春節の直後で賑わっていました。

 

あ、私の春休み、ちゃんとありましたね。

 

特に今まであまり感じなかったライブ感を体感するようになった気がします。

インターネットでなんでも情報がとれる時代になりましたが、やはりライブっていうのは、そこでしか感じられない何かがあるのだということが分かりました。

 

そこでしか経験できない何か、空気感、人のエネルギー、生み出される雰囲気というようなものを感じるには、そこへ行くしかないのだなと。当たり前なんですが。

 

数年前から、ご当地の味はご当地へ行って味わおう運動(自称)をやっていまして、かつおなら土佐へ、鹿児島で馬肉と豚しゃぶ、 松阪で牛肉など等、東京でも全国各地のご当地グルメは味わえるのですが、やはりご当地で味わうものに勝るものはないと実感していることにも似ているかもしれません。

 

もしかすると、研究もライブ感が面白いのかもと思ったりします。

前述の通り、研究中はしんどい思いもあるけれど、得られる結果や示唆はその時ならではの生ものであって、何かが生み出されて行く研究のライブ感が病みつきになるのかもしれません。

 

これまでどちらかというとお家大好き、インドア派だったのですが、これから春本番ですし、ライブ感を味わいに出かけていきたいと思います。

 

皆さまも、楽しい春を!

 

Thanks,

Chigusa

 

 

 

修論公開審査会が無事に終了しました。

皆さま、ごきげんよう

寒い日が続いていますね。インフルエンザも猛威を振るっているようです。

私もここ数週間は体調を崩してしまい、未だにシンドイ日々が続いています。いくつかのお約束もキャンセルしてしまいました。ご関係の皆さま、大変申し訳ありません。

幸いインフルエンザは陰性でしたが、引き続き自己管理はしっかりしていきたいと思います。

皆さまもどうぞお気をつけくださいませね。

 

さて、修士論文の公開審査会が無事に終了いたしました。

当日まで体調不良が続いていて、発表よりも遠いキャンパスまでたどり着けるかどうかが唯一の気がかりでしたが、多くの学友の応援を得てなんとか無事に審査会を終えることができました。

無事に発表を終えることができたのは、何より学友のみんなが審査会の場で応援してくれていたお陰でした。本当に心強かったです。ありがとうございます!

そして重ね重ね、研究参加者の皆さまには心より厚く御礼申し上げます。

 

審査会の口頭試問では、有難いことに主査・副査の先生がたから概ね建設的なご意見ご指摘をたくさん賜りまして、今後の課題として出来ることは沢山あることが分かりました。

学位審査というと正直ビビってしまうし、副査の先生がたの反応も怖かったのですが、あくまで研究と論文をより良いものにしようとしてくださるいわば味方なのだと思えば、ご指摘やコメントも本当に有難いものでした。

 

そして修士課程を通じて私が理解したこと

それは、まだ分からないことが多いということ、もっと知りたいことが沢山あるということでした。

この1年は正直シンドイ日々でしたが、マズイことに研究が面白くなってきてしまったかもしれません。未だ分からないことを解明していくというのはとても面白い行為です。

 

研究は巨人の肩の上に立つとも言われるように、先人たちが積み重ねてきた研究を前提として、新たな発見、解明をして引き続き考えて続けていくことだと思います。

 

そして、世の中をほんのちょっとずつ良くしていくことなんじゃないかと個人的には考えています。

要するに、先行研究も自分の研究も、小さな一歩ずつの積み重ねなのだということ。

多くの時間と労力をかけたとしても、その成果はほんの大海の一滴にすぎないかもしれないけれど、その積み重ねをしていくことで、世の中をほんのちょっとずつ良くしていくことを諦めない姿勢っていうのかな。

私の中では、薄いティッシュペーパーを一枚づつ積み重ねていく感じかな。いつかティッシュボックスに入れて誰かの手に届けられる日が来るといいなぁと思っています。

 

私は修論研究で自死遺族の質的研究に取り組みましたが、その結果としてまだまだ知りたいこと、研究してみたいことが沢山出てきてしまいました。

そんなわけで、このまま無事に修士課程を修了できれば、来年度からは博士後期課程へ進学して更に研究を続けていくことを見込んでいます。

博士号は「足の裏の米粒」って言われてるそうなんですが・・・。

 

この1年あんなに苦しくてやっと終わりが見えたのに、これからまたそれを繰り返すのかと思うと、もしかしてわたしアホなのかな・・・?と思わなくはないですが。w

研究を面白いと思えるうちは、満足するまでチャレンジしてみたいと思っています。

その前に、春休みを存分に満喫するぞー!

 

Thanks,

Chigusa 

 

おまけ

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本キャンパスでは全身像

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山の中のキャンパスでは胸像
という違いね。