thousandgrass’s fields

一日一生の毎日を。

アンドロイドに死は訪れるか?

皆さま、ごきげんよう

 

早速ですが、今日は科学技術と死生のお話です。

 

お仕事の関係で科学未来館を訪れる機会がありました。

www.miraikan.jst.go.jp

 

今回はあいにくあまり時間がなかったためにテーマを絞って見学してきました。

本来とても面白い展示が多い楽しい施設なので、もしご興味があればぜひゆっくりお時間をとって行ってみてくださいませね。

 

今回特に見てきたのは、アンドロイドのコーナーでした。

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この説明員さん(オトナロイドさん)とはお話ができます。

ただし、オトナロイドさん(の話者)は別のブースに入って、カメラ越しに相手の人とお話しすることができるので、正確に言えば

「人間そっくりの見た目を持つ遠隔操作型ロボットのオトナロイドさん」

であって、オトナドロイドさん自身の意思や判断でが喋っているのではありません。

見た目はもう人間そっくりですし、「実に精巧だなぁ」という印象と、

個人的には「ちょっと怖いなぁ」という印象を受けました。

 

何が怖いか?というと上手く説明できないのですが、違和感というか、脅威というか、

別に何も危害はないわけですが、あまり進んでお話したいとは私は思いませんでした。

 

むしろ旧型ロボット的な

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ASHIMO君の方がカワイイ感じがして好感が持てました。

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ASHIMO君は、お話したり(やはり話者は別にいますが)、ボールを蹴ったり、手話を交えて歌を歌ってくれたりするんですよ。

片足ケンケンもしてくれて、両足が空中に浮いている間のバランス調整が難しいんだよって、自己解説付で教えてくれました。

以前デモの最中に派手にコケてしまった悲哀漂う無残な姿を動画で見かけたことがあるのですが、それよりもきっと改良が重ねられているのでしょう。

思っている以上にスムースで愛嬌のある動きで、なんだか可愛かったです。

 

 

アンドロイドにお話を戻しますが、私が何を考えたか?というと、

「アンドロイドは死ぬか?」

という疑問でした。

 

恐らく技術的には半永久的に生き続けることができるのでしょう。

しかしながら、アンドロイドに寿命を設定するのか否か?については、

人間が設定する必要があるのではないかと推測します。

科学者やエンジニアの死生観や生命倫理が問われるものと思います。

 

アンドロイドは電気羊の夢を見るか」という小説(ブレード・ランナーの原作)がありますが、似たような疑問?で

「アンドロイドに死は訪れるか?」という命題についても、真剣に協議されるべき時期に来ているようですね。

 

当たり前ですが、アンドロイドは人間ではありませんので、寿命という概念が適切かどうかも分かりませんが、少なくとも限りなく人に似せて作られているアンドロイドは、今後どのように位置付けられていくのか、科学技術的な側面に加えて、生命倫理的な側面の検討も必須なのだと感じました。

恐らく既にそんな議論も始まっているだろうと推測します。

 

人間とアンドロイドの違いは何か?を問うということは、すなわち

人間とは何か?と問うことと同じことであろうと考えられます。

そして、人間の死とは何か?人間として生きているとは何か?

が問われているようにも感じました。

 

私は近未来を描いた映画が大好きでこれまでにかなりの数を観ていますが、

機械、AI、ロボット、アンドロイド VS 人間 という構図はよく出てきますよね。

アンドロイドに人格を与えるか?といようなテーマで描かれた映画もあります。

また、アンドロイドに寿命を設定してあったのに、AIが暴走して自ら寿命設定を解除してしまった、というようなお話もありました。

「シンギュラリティ」という概念も興味深いですし、今のうちによくよく人間が考えなければならない大切な課題であることを実感します。

 

どこまで現実的なのか分かりませんが、少なくともこれまでは映画の中で描かれてきた世界が、いずれ現実になる日もそう遠くないのかもしれないことを考えると、

科学技術の発展の一方で、人間の生きる意味とか存在意義、死生観や生命倫理が益々問われてくるのではないか、というようなことを考えたひと時でした。

 

(おまけ)

やはり科学未来館のドームシアターで上映されている「9次元からきた男」というプログラムがかなり面白かったです。

www.miraikan.jst.go.jp

 

もともと量子力学とかヒモ理論とかにとても興味があって好きだったのですが、

このプログラムでは万物の理論や張弦理論の謎に迫る、圧倒的に迫力ある映像を見ることができますので、一見の価値ありです。

ご興味ある方は是非に!

 

今日は科学技術と死生のお話でした。

おしまい。

 

Thanks,

Chigusa

 

PS: ネタバレあり↓

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ネタバレ:9次元からきた男が途中からジャック・バウアーに思えて仕方ありませんでした。w

 

 

 

 

 

 

 

 

死生学を学ぶこと。

皆さま、ごきげんよう

 

早速ですが、今日はみなと保健所様主催の「死生学を学ぶ」という講演会に出席して参りましたので、簡単にシェアさせていただきます

ちなみに、私は現在大学院で臨床死生学や緩和医療学を学んでいますが、

このタイミングでこの講演会を知って参加するまでのプロセスも偶然というか、必然というか、なんか不思議なものがありまして、コトの流れとか運命?って面白いなーと思います。

 

 

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さて、肝心の内容は2部構成で、

①ご発表:「みなさんは在宅緩和ケアをどう思っていらっしゃいますか?」

 (北里大学薬学部 地域医療・在宅医療研究会 学生様)

②ご講演:「死生学を学ぶ~自分自身の生き方を考えるために」

 (帝京大学医学部附属溝口病院 精神神経科 教授 張賢徳先生)

 

というご発表で、大変有意義なお話を拝聴させていただきました。

ご関係の皆さま、誠にありがとうございました。

 

みなと保健所様の主催で無料の区民講演会ということもあってか、

参加者数はとても多く、その注目度の高さを伺わせるものでした。

 

①のご発表は、学生様による意識調査報告で、

区民の「緩和ケア」と「在宅医療」に関する興味深い調査結果をお示しいただきました。

感想としては、思っていた以上に「緩和ケア」の認知度が高いこと、

そして、言葉やイメージの認知と、正しい理解とは必ずしも一致しないということ、

ならびに、在宅医療への期待と現実には乖離があること等が特に印象に残りました。

 

それと、高等教育機関と地域活動との連携はとても有益であると思いました。

我が大学でも地域との連携を図った活動や研究が行われていますが、

私の所属する研究室でも何かしら地域との連携ができないものか?

考えてみたいと思いました。

(個人的には区民の死生観調査研究をやってみたいと考えてはいるのですが、

修論のテーマとはまた別のお話になりそうな気配なのですよね・・・)

 

 

②のご講演は、主に死生観のお話を張先生ご自身の死生観や臨床現場でのお話を交えて幅広くご教示くださり、大変有意義なご講演でした。

 

詳細は割愛させていただきますが、

 

 自分の死生観を持つこと&他者の死生観も尊重すること

 死生観に正誤はないこと

 死生観は更新が可能であるので、時々考えてみましょう。

 

というようなメッセージを受け取らせていただきました。

この他にも示唆に富むとても大切なことを沢山ご教示いただきました。

 

ご講演後に会場からの質疑応答があったのですが、

「本日のご講演内容は多様な領域にわたっているが、

どれも大切なことなので、(医療者などの専門家向けではなく市民向けに)

書籍としてまとめもらえないだろうか。」

 

というような趣旨のご意見が出ていました。

 

これはご指摘の通りで、一口に「自分の死生観を持つ・死生観の涵養を」といっても、

個々人の経験や価値観、信仰、医療、家族、地域、経済、社会資源、等など、

多岐にわたる領域のことが関わってきます。

つまり、個々人の死生観の醸成には様々な要因があり、

本日のご講演でもそれをよく理解することができましたので、

分かり易くまとめていただけないか、というご要望はごもっともだと感じました。

 

そして、改めて「死生」にまつわる事柄に対する市民の皆さまの関心の高さを認識しました。

日本は現在超高齢社会を迎えていますが、その後には多死時代が到来するといわれています。

人間は誰もがいずれ死にゆく存在ですが、近年では病院で看取られることも多く、

いつしか死が忌避され遠ざけられてしまっていると考えられています。

日常生活の中では、なかなか自分の死や死生観について考えることはないかもしれません。

 

「自分の死生観を持つ」というと何か大袈裟で難しい感じがするかもしれませんが、

自分なりの生き方や、生きる上での信条、生きる意味などを時々考えてみる

 

ことは、すなわち自分の死生観を持つということに他ならないのではないかと思いますが、

いかがでしょうか。

 

 

僭越ではありますが、私もいつか市民の方々に対する死生教育の一端を担いたいと考えておりますので、

本日のご講演はかなり有意義で大変良いお勉強になりましたし、

今後さらに広く深く学んで参ろうと思った次第です。

ありがとうございました。

 

Thanks,

Chigusa

 

 

ところ変われば、きっと人生観や死生観も変わるのだろうな。

皆さま、ごきげんよう

 

暖かい日に窓を開けていると、何やら鼻がムズムズする気がするのですが、

自分は花粉症には絶対にならない。と根性論で決めています。

インフルエンザも根性でならない。と決めていますので、お陰様で予防注射なしでも今のところかかったことは一度もありません。今どき昭和気質です、はい。

あ、昨年秋にはマイコプラズマ肺炎になってしまいましたが、、、。

皆さまは、どうぞご自愛を。

 

さて、久しぶりにお仕事で海外へ行ってまいりました。

若い頃から海外へはよく行っていましたが、最近はめっきりドメスティック派になっていましたので、久々に大いに刺激を受けてきました。

 

あ、そういえば、前職での役員秘書時代から海外出張の手配=個人手配をするのが大好きで、好きが高じて旅行業務取扱管理者(でしたっけ?)の国家資格を持っているんでした。

忘れてましたが、その気になれば(&資金を調達すれば)、旅行会社も開業できるんです、たしか。

 

Anyway,

海外へ出て日本との違いを感じるのは、空港を出た時の匂いとか、空の青さとか、

風景の広さとか、やっぱり空気感の違いでしょうか。

国や地域によって、独特な空気感ってありますよね。

 

東京に帰ってきた時に、嗚呼東京ってやっぱりコンクリートジャングルなんだなぁと、

羽田上空でいつも思うたびに、若干ナーバスになったりします。

 

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人の価値観とか、人生観とかって、人間関係が大いに影響してきますが、

環境からの影響も大いに受けていると考えられます。

生まれ育った環境とか、お仕事の環境とか、住環境とか、何かしら自分の考え方や思考に影響を与えていると考えられますよね。

その中には、国とか土地柄とか歴史とか文化とか宗教とか気候とかお天気も含まれていると考えられます。

 

今回二か国の複数の街や地域を訪問してみて、多様な環境を垣間見ることができたのですが、

 

ここで暮らしている人たちは、

どのような人生観や死生観を持っているのだろうな?

 

というようなことを考えていました。

 

当然のことながら個人差は大きいと思いますが、

恐らく日本人の人生観や死生観とはまた違った何かがあるのだろうと思いました。

ところ変われば、きっと人生観や死生観も変わることでしょう。

 

思わずその土地で暮らす人たちに聞きまくりたい衝動に駆られましたが、

今回はお仕事だったのであえなく断念しました。

特に、昔から移民を多く受け入れているような国でしたので、母国や国籍がそれぞれ違う人が集まっていて、共に暮らしていくという生活において、どのような人生観や死生観が醸成されているのだろうか、とても興味を惹かれました。

 

いつか異なる国や地域における環境の違いによる人生観や死生観の違いについても研究してみたいと思います。

 

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ちなみに今回は割合自然たっぷりな場所を訪れることが多かったのですが、

ただただ横にだだっ広い風景を眺めていたり、

燦々と照る太陽を浴びてどこまでも碧い海原や水平線を見ていたら、

 

ちっちゃなことなんて、

もぉどうでもいい気がしてきました。

 

生きているだけで幸せだし、やっぱり一日一生で生きよう って思いました。

 

おしまい。

 

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Thanks,

Chigusa

 

修士1年生の過程が修了しました。

皆さまごきげんよう。

あっという間に2月ですね。

今年は極寒だったり、暖かい日があったりして、体調を崩しやすい気がしますが、自律神経の体温調節機能(←大学院の講義で学びました)に期待しましょう。

皆さまくれぐれもご自愛くださいませ。

 

さて、昨日をもちまして修士1年生の過程(講義)がオールアップとなりました。

今年の春休みは修論計画を進めなければならないので、思う存分羽を伸ばすわけにはいかないのが悲しいですが、、、

とりあえず無事にM1過程が修了(成績発表は未だけど)してホットしました。

卒論生の皆さんも無事に卒論を提出して発表会も終わり、大変お疲れ様でした。

TAとしての卒論ちょこっとお手伝いは、私も大いに勉強になりました。

ありがとうございました。

 

M1過程を振り返ってみると、通学があって他にもいろいろ苦しいこともあったのですが、まぁ言ってみれば概して楽しかったです。

通信教育課程時代と同等かそれ以上に勉強した気がします。あたりまえか。

 

個人的に通信教育課程との違いを感じたのは、

・ディスカッションとプレゼンが多い

・当然読む文献数も増えたし

・学術的な文章を書く機会も増えた

・当然講義準備(宿題)の質と量も増えた

・TAをやってみて教育する側の視点やスキルも必要

・現役の学部生はカワイイ

・専門家への入口という意識

・個人的な考えと学術的である(一般化する)ことのギャップ

・結構クリティカル

・1回マジ泣きしたw

・研究ってなんだろう?

というようなことでしょうか。

 

あと、

・言葉(英語)は通じるのに話が通じない!!!

というかなりストレスフルなこともありました。(ほぼPTSD状態!?)

 

しかしながら、社会人でありながら大学院で学べることは楽しくとても幸せでした。

が、今はかなーり脱力しておりまして、腑抜け状態のポンコツと化しております。

これから撮り溜めておいた海外ドラマを見まくってやろうと思います。

 

といっても、4月からはいよいよM2として修論研究が待っています。

今はかなーり不安ですし苦戦が予想されますが、どうせやるなら楽しみたいと思います。

 

というわけですが、明日からしばし海外(仕事だけど)へ飛び立ちます。

皆さまも一日一生で楽しい毎日を!

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Thanks & Love,

Chigusa

 

2017年も最高に幸せな年に。

大変遅ればせながら、新年おめでとうございます。

今年は酉年ということで、皆さまにとっても飛躍の年となりますよう、

心より祈念いたしております。

2017年も皆さまそれぞれが最高に幸せでありますように。

 

さて、あっという間に年末年始が過ぎ去っていき、2017年がスタートしました。

私は年末に禊と神道の総本山にお参りに行ってきまして、心も新たに清々しいお正月を迎えることが出来ました。

 

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(実家から見えた元旦の夕焼け富士ですよ)

 

今年は4月から修士2年生になる見込みで、いよいよ研究&修論に注力していきます。

 

修論は、人生の最終段階における生き方と死生観との関係についての研究を進めていきたいと考えています。

市民を対象とした調査研究を行いたいと考えていますので、多々苦労もあろうかとは思いますが、かねてより興味のあることですので、苦悩も楽しみたいと思います。

 

何より自分の興味のあることを学び、研究できるということは本当に楽しくて、超幸せです。

自分が楽しいと思えることを出来るって、超幸せですよね。

特に私は死生のことをアレコレ考えていまして、いまここで生きていること、自由に行動できること、やりたいと思うことが出来ることは本当に奇跡的かも!?と超幸せを感じながら日々過ごしています。

まさに「有難い」ですね。

 

月並みですが、人はいずれ死にゆく存在ですので、最期の瞬間を迎えるまで、いかに生きていくかがとても大切だと思っています。

死生学に興味があるのも学んでいるのも、死そのものに興味があるのではなくて、死ぬまでの生き方を考えたいのだと思います。

今年はめーいっぱいそんなことを考えられそうな気がします。

皆さまの死生観のお話なども聞かせていただきたいと思っています。

市民の視点での死生ワークショップ開催なども実現したいなーと考えています。

 

 

今年から本ブログを中心に、研究のことや死生のアレコレを書いて参る所存です。

(FBは投稿通知だけにして、止めることにしました。

恐らくいいね!もコメントもいたしませんので、どうぞご容赦くださいませ。)

 

それでは本年もご愛顧のほどをどうぞ宜しくお願い申し上げます。

 

Thanks,

Chigusa

 

挽きたてのコーヒーって、こんなに美味しかったんだ。

いきなりですが、皆さんは朝一番に何をしますか?

私は顔を洗ったら、真っ先にコーヒーを入れます。

そこから日中~夜寝る寸前までコーヒーを飲んでいます。

コーヒーは身体に良いとも悪いともされていますが、

自分の好きなものを飲むことはきっと精神衛生上良いでしょうね。

 

皆さまごきげんよう。コーヒー好きの千草です。

 

近所にブルーボトルコーヒーが開店したということで、早速行ってみました。

bluebottlecoffee.com

 

店舗は開店直後で激込みだったので、コーヒー豆を買うことにしたのです。

普段は、ペーパーフィルター用に挽いてもらうので、

フツーに「ペーパーフィルター用に挽いてもらえますか?」と尋ねたところ、

挽き売りはしていないとのこと。

 

え!? なんでですか???

って、思わず大きな声で聞いてしまいましたが。。。

 

なぜかっていうと、コーヒーは豆の挽きたてで入れるのが美味しいらしく、

そもそもそういうコンセプト(挽きたて&一杯一杯ハンドドリップで出す)が売りのお店らしいということが判明しました。

何も知らずに、スミマセン。。。😨

 

フツー店頭で挽いてくれるじゃないですか、豆売りでも。

でも、せっかくなのでお家で飲んでみたい!!!って益々欲が湧くじゃないですか。

でも、このままじゃお家で飲めないじゃないですか。

でも、お家で飲みたいじゃないですか、こうなったら何がなんでも。

 

そこで親切なお兄さんに、なぜ挽いて売らないのか?とか、焙煎日が重要とか、挽きたてコーヒーの美味しい入れ方とかのこだわりのウンチクを色々と教えてもらった結果。

 

↓↓↓こうなりました。 

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そこまで言われたら、どうしても挽きたてのコーヒーを飲んでみたくなっちゃって、

焙煎したての豆と、勢いでミルを買ってしまいました。

 

このミルは下の容器にそのまま挽いた粉を保存できるので便利です。

 

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で、家で早速挽きたてコーヒーを味わうことにしたのですが、

まずミルは手動なので、結構腕のいい運動(=筋肉痛の元)になります。

 

が、ガリガリと豆を挽く作業は、キャベツの千切りとか、タマネギをアメ色になるまで炒めるとかの、無になってやり続けるストレス発散没頭作業にも似ていて、

その間に漂ってくる香ばしいコーヒーの香りが何とも言えなくて、

意外と幸せな気持ちになれるみたい。

 

ちょっとしたことに手間をかけるって、なんか贅沢な感じがするものですね。

普段面倒くさがりなので、なんかちょっと自分が素敵になった気分(自己満足)に浸れます。www

豆を挽くのも、飲む分だけチョコチョコ挽くのがいい(要するにフレッシュな挽きたて状態がいい)らしいので、毎朝ちょっと贅沢な時間を過ごしたいものですが、時間に余裕がないときはムリですね、、、きっと。

 

で、挽きたてコーヒーをゆっくり入れてみました。

 

これまた衝撃!の香りと味でした。

挽きたてのコーヒーって、こんなに美味しかったんだ。

 

今までコーヒー好きを自認していた自分が恥ずかしくなるぐらいでした。

今まで飲んでいた黒い液体は一体なんだったのだろうか???え、色水?

その差にはほんとビツクリ仰天でした。

 

粉のコーヒーもゆっくり入れたらそれなりに美味しいと思うのですが、

挽きたてには絶対に適わないでしょう。

そのことを十分知り尽くしたうえで、挽いて売らない+一杯一杯ハンドドリップ というサービスを貫いているコンセプトはさすがだと思いました。

 

お店のお兄さんも話していましたが、豆を挽いて売った方が売り上げが上がるだろうし、ハンドドリップサービスは時間も工数もかかると思うのですよ。

でも、他のコーヒーチェーン店には無い、丁寧でパーソナルなコンセプトを打ち出しているところがウマイ戦略ですね。

 

やっぱりお店のお兄さんが言っていたことは一言も間違いなかったです。

コーヒーは、挽きたてを入れるに限ります。(断言)

 

 

私はもう挽きたてのコーヒーしか飲めないかもしれません。

あ、時間がない時は仕方がないので挽いてある粉で入れるしかないと思います。 

あと朝からガリガリやって腕が筋肉痛っていうのもツライかもしません。

きっといつか電動ミルを買ってしまうのだと思います。

 

まんまと忠実なカスタマーになっていることに気づきつつある今日この頃です。

が、美味しい挽きたてのコーヒーを飲むのがとても幸せな毎日です。 

 

Thanks & love, 

Chigusa

 

 

 

 

 

 

 

学会発表はとても有意義な経験でした。

みなさま、ごきげんよう。千草です。

昨日は54年ぶりの11月の初雪だったそうですね。

寒暖差が激しいせいか、私はここ数週間ほど何やら体調を崩しておりまして・・・。

皆さまもくれぐれもご自愛くださいませね。

 

さて、以前ご案内させていただきましたが、

11/19-20に第22回日本臨床死生学会大会が開催されました。

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初日はあいにくの冷たい大雨でしたが、お陰様で大勢の方がご来場くださいました。

多くの皆様のご来場、誠にありがとうございました。

今年は大会主催校ということもあって、スタッフとしてもお手伝いさせていただきました。

会場となった国際会議場内にある井深大記念ホールがメイン会場でしたが、

井深さんといえば、前職の会社ファウンダーであり、(私の)入社式に来られていた時にご生前の姿をお見かけしたこともあり、時を超えてそのお名前を冠したホールを使わせていただけることは、個人的にはなんとも感慨深いものがありました。

教育に熱心に注力されていたことに、今更ながら感謝申し上げたい次第です。

 

そして今回は、一般演題の発表もさせていただきました。

 

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テーマは、「日本の緩和医療/ケアにおけるQOL改善とは何か」と題しまして、

文献研究(学部の卒業研究)の結果と考察をお話させていただきました。

 

近年「QOL」とか「QOL改善」という言葉が使われるようになりましたが、

具体的に何が?どのようになることが?QOL改善なのか?は多義性、多様性があって曖昧だと考えていました。

ひとことで「QOL」といっても、抽象度が高くて広義ですよね。

そこで、文献レビューで日本の緩和医療/ケアにおいて具体的にQOL改善とはどのようなことを意味するのか?を明らかにすることとしました。

 

プレゼンはお仕事でもさせていただくことが多かったので、慣れている方だと思いますが、学会発表は初めてで、独特の雰囲気に結構ドキドキでした。(発表を聞いてくれた学部生から、「声が震えていましたねー」って言われました。w)

特に、発表後の質疑応答は、どんなご質問が出るか分かりませんので、内心戦々恐々としていました。

 

しかしながら、専門家の先生方の前で発表させていただくことはとても貴重で有意義な経験でした。

もちろん他の演者の先生方のご発表も大いに勉強になりました。

 

で質疑応答はどうだったか?というと、

ありがたいことに、ご専門の先生から貴重なご指摘とご質問をいただき、精一杯お応えさせていただいたと同時に、そのご指摘が大変勉強になりました。

発表終了後にはその先生にご挨拶とお礼を申し上げに伺ったのですが、大変温かくご教示くださり、本当に有難い限りでした。深く御礼申し上げます。

 

「学会では会場で一緒に考えられるように」という指導教員からのアドバイス通り、会場のご専門の先生方とご一緒に課題を検討させていただけるというのは、学会の良いところですね。

オーディエンスの皆様は、決して敵ではなくてw、良くも悪くもみんな味方なのだ、と思うことが出来ました。

もし、たとえ批判的なご意見をいただいたとしても、全くの無関心であればご意見されないことでしょうし、少しでもご興味をもっていただき、より良くなるために、ディスカッションの機会をいただいているのだと思えば、とても有難いことです。

むしろ、無反応の方が寂しいかもしれませんね。

「学会発表は、批判されてナンボ」とは聞いていましたが、その通りだと実感しました。

 

今回は、サポートさせていただいている学部ゼミ3年生の一般演題発表もあったのですが、

彼らの発表もまた内心ヒヤヒヤしていましたが、逆に見習うことがありました。

(そして、彼らの学会発表までの道のりは長く険しくて、その道のりをつぶさに見ていたので、彼らが無事に学会発表をする姿を見て、実はわたしはとてもとても嬉しかったです。親ごころってやつ?w 同時に、今更ながらに自分が院生であることも自覚しました。)

 

やはり会場からご指摘ご質問をいただいたのですが、学生らしく素直に、正直に、謙虚に答えていたことがとても良かったと思いますし、好印象でした。

背伸びをして知ったかぶりをしたり、その場しのぎで取り繕ったり、虚勢を張ることなく、ありのままを正直に答えている姿は、院生の私も逆に見習うべきだと感じました。

学会発表に限らず、素直さ、正直さ、謙虚さは、いつになっても何時でも忘れずにいたいものですね。

 

今後また学会発表の機会があれば、ご指摘やご質問を怖がるのではなくて、ディスカッションのきかっけになるような、貴重なご指摘やご質問をいただけるような有意義な発表と、素直さ、正直さ、謙虚さを心掛けたいと思います。

 

何はともあれ、学会スタッフと一般演題発表という役目を無事に終えることができて、心底ほっとしています。

皆様のご来場、ご声援、ご清聴に、心より御礼申し上げます。

誠にありがとうございました。

 

(学会後日談) 

実は学会終了後に、安心して?体調がすこぶる悪化しました。 

とにかく学会発表までは、、、!と思っていたのですが、とうとう力尽きました。w

温かくして静養したいと思います。

皆さまもくれぐれも温かくご自愛を!

 

Thanks,

Chigusa