thousandgrass’s fields

一日一生の毎日を。

ILC(国際リニアコライダー)ってなんですか?

皆さま、ごきげんよう

新年度、新学期が始まってからなんだかもう随分経ってしまいました。

 

いろいろ書きたいことがあるのですが、今日は最近知った面白い話題を。

 

ILC(国際リニアコライダーって知っていますか?

私は今まで全く知らなかったのですが、とあるご縁でILC Supporters発足の発表会に参加させていただきました。

 

発表会のことは報道されていますのでご覧になった方もいるかもしれません。

www.jiji.com

 

国際リニアコライダー計画については私が説明するよりも↓コチラを。

aaa-sentan.org

 

このILC計画を応援していきましょうというのが、ILC Supporters発足の主旨です

ilcsupporters.jp

 

その一部を転載させていただきますと

宇宙誕生の瞬間「ビッグバン」を再現するリニアコライダー

宇宙のナゾを解き明かす突破口となる実験装置が「リニアコライダー」です。
全長約30キロメートルに及ぶトンネルのなかで、光速に加速された電子とその反物質である陽電子のビームを正面からぶつけると、その超高密度のエネルギーの衝突の中に「宇宙の誕生から1兆分の1秒の世界」が再現されることは世界の物理学者たちの共通認識となっています。
つまり、リニアコライダー計画とは、約140億年前に起こった宇宙創生̶̶ビッグバンの瞬間をこの地上で再現しようという実験なのです。
現在、素粒子と宇宙の最新の研究では、これまで真空だと思われていた宇宙空間にはヒッグス粒子ダークマターダークエネルギーといった未知のエネルギーと物質が満ちていることがわかってきました。
さらに4次元を超える時空の存在も示唆されています。それらの正体が解明されると、わたしたちの世界の常識は一変します。

 

というわけで、正直正しい理解は難しいところですが、何やらロマンを感じる面白そうな試みだなというのは感じられるのではないでしょうか。

日本はこのILCを建設する最有力候補地となっているそうで、その誘致のために応援していきましょう!という活動です。

そのためには理解、周知が必要ということで、より多くの人がSupportersになることが期待されています。

 

 

ところで。

実は私も以前から素粒子とか量子力学に興味を持っておりました。

特に、「シュレーディンガーの猫」のお話が面白くて、大好きなんです。

 

youtu.be

 

そこでよく話題にするのが

「死んでいない」

ということばの意味。

死んではいない(生きている) のか 死んでしまって今はもういない(死んでいる) のか、その可能性が重なり合っているということを表しているように思うのです。

 

そして、更に興味深いのが観測することによって振る舞いを変える電子のお話。

不可思議なことが多くてなんだかワクワクします。

 

youtu.be

 

素人にはなんとも不思議なお話ですが、人が観察する、たとえば思いを馳せる、思考することによって、物事や出来事の行方が変わるのかもしれない、ということは感覚的に何となく理解できるような気がしませんか。

始めから出来ないと思っていればきっと出来ないし、出来ると思っていれば出来る可能性がある。とか、信じるものは救われる、みたいなことに通じるのではないでしょうか。

そんな人の思考や希望についてのお話はなかなか面白いですよね。

 

しかし世の中まだ分からないことだらけなんですね。

私はいま大学院で主に臨床死生学の研究をしていますが、それこそ人間科学なんてまだまだ分かっていないことだらけだし、人間に対して「分かる」という意味もよく分からないのかも?しれないですが。

知らんけど、って話です。w

 

いずれにしても、人知を結集してみんなで何かを解き明かしていこうという試みはとても面白いものです。

私もILC計画を応援したいと思います。

 

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お土産をいただきました。

ありがとうございました!

 

Thanks,

Chigusa

 

修士課程修了、そしてその先へ。

皆さま、ごきげんよう

桜が満開ですね。

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さて、この度無事に修士課程を修了し、人間科学修士の学位記を受領いたしました。

改めてご関係の全ての皆さまに感謝、御礼申し上げます。ありがとうございます。

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えんじ色(学士)の学位記はもとより、黒色(修士)の学位記を手にして、なんとも感慨深いものがあります。

それは、私は修士研究、修論執筆になかなか苦労したからなのかもしれません。

その結果として、修士の学位記を受領したことはとても嬉しくて幸せなことだとしみじみ思うわけですが、同時に別の想いが沸き起こることでもありました。

 

修了式で、総長、学科長、学部長の先生方からご祝辞を賜ったのですが、深く心に残るお話がいくつかありました。

 

「学びは終わるわけではない」

「『知る』とは実践してからこそ」

「関係とは有るか無いかではなく付けられるか付けられないか」

「速く行くなら一人で 遠くへ行くなら仲間と共に」

 

というような主旨のお話を賜り、改めて修士学位記を手にした意味を考えるわけです。

つまり、これからも学び続けて実践を通して社会へ還元していくこと、積極的に人や社会との関係性を築いていくこと、仲間と共に遠くを目指すこと。

今後はそんなことが大切なのだと深く胸に刻む次第です。

 

修了の喜びにつかるのもつかの間、4月からは博士後期課程の研究、TAとしてのサポート等が始まる予定です。

またいばらの道を進むのかと思うと自分でもよくやるなぁと思います。

しかしながら、自分が面白いと思うことをやり続けたり、何を?どうしたら?社会での実践として還元できるのかを考え続けることはとても刺激的ですし、人や社会との関係性を持ち続けて仲間と共に遠くを目指すのは挑戦であり、冒険のようでもあると思うのです。

 

まぁまた度々シンドイことがあることは容易に想像がつきますが、、、諦めないこと、やり続けることで、またその先の世界が開けることを信じたいと思います。

 

90歳以上の方に「人生を振り返って唯一後悔していることは何か?」と尋ねると、

「もっと冒険しておけばよかった」

と90%の人が答えたというアンケート結果があるそうです。

引用:ひすいこたろう(2005)、『3秒でハッピーになる 名言セラピー』、p.30

 

というわけで、これからその先へ向かって冒険してみようと思います。

その先にどんな世界が開けるのかを楽しみに、張り切って元気にいばらの道に突き進みたいと思います。

 

皆さまもいつも心に冒険心を。

そして一日一生の毎日を。

 

Thanks,

Chigusa

 

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死生の対話の場「カフェあの世この世」はじめました。

皆さま、ごきげんよう

だいぶ春らしくなったきましたね。とはいえ、朝晩はまだ肌寒い日がありますので、要注意ですね。花粉症をお持ちの方もお察しします。

私は猫アレルギーがあるので猫のいる実家に帰ると具合が悪くなっていたのですが、とうとう実家で飼っていた3匹の猫がみんな虹の橋を渡ってしまいましたので、寂しくもあります。

 

さて、表題の通り、このたび死生の対話の場「カフェあの世この世」はじめました。

冷やし中華はじめました」みたいになってしまいましたが、、、簡単にご紹介させていただきますね。

 

私はもともと市民のための死生教育のことを考えていたのですが(修論のテーマとしてはボツに)、市民の活きた死生のことは座学ではないよなぁと思い、どのような形が良いかを思案していました。

市民による市民のための死生の(お話ができる)場を設けてみたいと考えていたのです。

大学院でワークショップの講義を受講してみて、ワークショップも出来るかも?と思ったりしていました。(今後ワークショップも考えてみたいと思います。)

そんな中、東海地方での「死生学カフェ」に参加したことがきっかけで、ぜひ東京でも開催してみたいと思い、同じ意思をもつ仲間たち(世話人)と相談をするようになりました。

 

それから数か月を経て、このたび東京で「カフェあの世この世」の初回を開催することができました。

まずはご参加いただいた皆さまに、厚く御礼申し上げます。誠にありがとうございました。

初めての試みで至らない点もあったかと思いますが、何より全員の力で死生の対話の場を創り上げてみたこと、そして恐らく有意義な死生の対話ができたであろうことがとても嬉しかったです。

わりあい短期間で仲間(世話人)のチームで当初の構想をまずは実践に移せたことも、私にはとても嬉しいことでした。個人的に今年はチームの年だと考えていますので、チームで何かを生み出す喜びを味わうことはgreat!なのです。

 

「カフェあの世この世」は、死にまつわる様々なテーマについて語り合う対話の場です。(カフェあの世この世 趣旨書より)

 

ということで、「あの世(=死)この世(=生)」というネーミングも絶妙に言い得ていると思いませんか?

いわゆる「死生学カフェ」や「デスカフェ」の位置づけではあるのですが、「死生学」とか「デスカフェ」と書くとなんだか堅いし小難しそうだしとっつきにくい感じがするので、「カフェあの世この世」という命名を私はとても気に入っています。

 

命名の由来は以前の記事に書いてあります。

当時からこのような場を設けたい思いを綴っていましたので、今回実現に至ったことは念願が叶ったということになりますね。嬉しいし、人生って本当に面白いなぁ。

 

thousandgrass.hatenablog.com

 

今後もし夜の時間帯にお酒を飲みながらの開催が実現する運びとなった時には、もしかすると「スナックあの世この世」になるかも!?しれません。 乞うご期待です。

 

当日の対話のテーマは、予め2つのテーマ(この世のことorあの世のこと)を用意しておき、当日ご参加者+世話人を含む全員の話し合いで一つのテーマを選定することにしました。 

 

そして、今回選ばれたテーマは

「一人称の死・二人称の死・三人称の死」(この世のこと)でした。

 

全員でテーマを選ぶ話し合いから対話はスタートしていましたし、非常に興味深い話し合いになりました。

実は、私はもう一つのテーマ(あの世のこと)が選ばれるんじゃないかな?と思っていたのです。が、見事に私の期待は裏切られました。個人的には意外だったけれど、話し合いの過程は逐一なるほどなぁと感心しきり。テーマ選定のプロセスもとても興味深いものでした。

そして、「対話」ということばの通り、「対」になる意見が出れば出るほど、対話は興味深く面白くなるのだと実感した次第です。

 

本題の「一人称の死・二人称の死・三人称の死」についての対話は、はじめグループで、その後に全体でという流れでしたが、どちらも非常に興味深く、面白く、有意義な対話になったと私は思っています。

参加者全員が自由に自分の考えや意見を自分のことばで語り、それに対する反応や疑問が続いたり、別の視点でのお話も続々と出たりして徐々に対話の場が創られていく。

そのライブ感には良い意味で圧倒されましたし、私は静かにとても感動しておりました。私の未熟だった点につきましては、どうかご容赦くださいませ💦

 

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グラフィックファシリテート(板書の一種)も素晴らしかったお陰で、初回にしては良い対話の場になったのではないかと振り返っております。

なんだか手前味噌みたいになってますが、、、参加者全員のご理解とご協力、これまでのご経験、深い思慮と真摯で正直なご発言の賜物であったことは間違いありません。

 

全員が市民としての対等な立場(&初対面)で、死生についてそれぞれの想いをそれぞれのことばで対話する、という場面を目にする機会はこれまでなかなかありませんでした。

院ゼミなどの学術的な場とは違ったリアリティと説得力がありましたし、人と人との対話って、すごいエネルギーとか叡智とかが生み出されるのだなぁと感じました。

当初より専門家主導ではなく、市民主体での死生の対話が一つの目標でもありました。

 

テーマに対する異なる見方、捉え方、感じ方がまるで地層を重ねるかのように積み上げられて、全員の力でテーマに対する対話が形成されていったように私には見えました。結構幅広く多面的で彩のある対話になった気がします。

当初私が考えていたこととは想像もつかないようなお話にまで発展したことも、驚きであり発見でした。だから面白いのですよね、人と人とが交わるって。私にとっても、とても有意義な経験でした。

 

「死生」にまつわるお話は、タブー感があったり忌避的であったりして、市民の間で自由に語られることはまだまだ少ないのかもしれません。

しかしながら、「死生」のことは人間が全員関わる大切なことであろうと私は考えています。

全員が避けては通れないことなのに、堂々と話すことは避けられがちなのは何故なのでしょうか?

 

今後そんな疑問を払拭していける予感がしています。

「カフェあの世この世」は今後継続開催を見込んでおりますので、今回の反省点を活かしてこれからも大切に育てていきたいと思います。

いずれ皆さまのご参加をお待ち申し上げております。

 

Thanks,

Chigusa

 

 

 

 

 

ライブ感を味わいに出かけよう。

皆さま、ごきげんよう

東京では3月に入って急に春がやってきましたね。夕暮れの時間が遅くなったり、暖かい風が吹いたりすると、なんだかウキウキしてきます。

今年のお花見🌸はいつ頃ですかね?

 

さて、お陰様で無事に修士課程の修了が確定いたしました㊗。

改めまして研究参加者の皆さま、支えて応援してくださった皆さまに深く御礼申し上げます。本当にありがとうございました。

 

修論研究が辛かったことは度々綴ってきましたが、こうしてすべて終了すると安堵感や達成感は勿論のこと、若干ロス気味になるところが恐ろしいです。

一時は文献を読みまくるのも苦痛になっていたのに、修了が確定して春休みを満喫してもよさそうなところ、英語の文献でも読もうっかなー とかうっかり思ってしまうのは悲しい性なのでしょうか。

今のところ博士後期課程への進学を予定していますので、今回はあまり卒業(修了)という感じもしないのが正直なところです。卒業(修了)式には出席いたしますが、また数年間の苦行が待っているかと思うと、あまりはしゃげない今日この頃。

しかもここぞとばかりお仕事や夜の会食がドカドカ入ってくるっていう・・・。

私の春休みはどこへいっちゃったんでしょうか。

 

とはいえ、解放感に任せて方々へお出かけはするようになりました。

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急遽オーラスライブに参戦して♪相当えきさい、えきさい♪して、生中継の録画を♪(Re)play♪し、DMワールドに♪DIVE!♪しているのは自分でもかなり意外です。

 

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生まれて初めてマラソンの応援に行きました。

今まで興味があまり(全く)無かったのですが、来年は箱根駅伝の応援に行こうと思いました。

 

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春節の直後で賑わっていました。

 

あ、私の春休み、ちゃんとありましたね。

 

特に今まであまり感じなかったライブ感を体感するようになった気がします。

インターネットでなんでも情報がとれる時代になりましたが、やはりライブっていうのは、そこでしか感じられない何かがあるのだということが分かりました。

 

そこでしか経験できない何か、空気感、人のエネルギー、生み出される雰囲気というようなものを感じるには、そこへ行くしかないのだなと。当たり前なんですが。

 

数年前から、ご当地の味はご当地へ行って味わおう運動(自称)をやっていまして、かつおなら土佐へ、鹿児島で馬肉と豚しゃぶ、 松阪で牛肉など等、東京でも全国各地のご当地グルメは味わえるのですが、やはりご当地で味わうものに勝るものはないと実感していることにも似ているかもしれません。

 

もしかすると、研究もライブ感が面白いのかもと思ったりします。

前述の通り、研究中はしんどい思いもあるけれど、得られる結果や示唆はその時ならではの生ものであって、何かが生み出されて行く研究のライブ感が病みつきになるのかもしれません。

 

これまでどちらかというとお家大好き、インドア派だったのですが、これから春本番ですし、ライブ感を味わいに出かけていきたいと思います。

 

皆さまも、楽しい春を!

 

Thanks,

Chigusa

 

 

 

修論公開審査会が無事に終了しました。

皆さま、ごきげんよう

寒い日が続いていますね。インフルエンザも猛威を振るっているようです。

私もここ数週間は体調を崩してしまい、未だにシンドイ日々が続いています。いくつかのお約束もキャンセルしてしまいました。ご関係の皆さま、大変申し訳ありません。

幸いインフルエンザは陰性でしたが、引き続き自己管理はしっかりしていきたいと思います。

皆さまもどうぞお気をつけくださいませね。

 

さて、修士論文の公開審査会が無事に終了いたしました。

当日まで体調不良が続いていて、発表よりも遠いキャンパスまでたどり着けるかどうかが唯一の気がかりでしたが、多くの学友の応援を得てなんとか無事に審査会を終えることができました。

無事に発表を終えることができたのは、何より学友のみんなが審査会の場で応援してくれていたお陰でした。本当に心強かったです。ありがとうございます!

そして重ね重ね、研究参加者の皆さまには心より厚く御礼申し上げます。

 

審査会の口頭試問では、有難いことに主査・副査の先生がたから概ね建設的なご意見ご指摘をたくさん賜りまして、今後の課題として出来ることは沢山あることが分かりました。

学位審査というと正直ビビってしまうし、副査の先生がたの反応も怖かったのですが、あくまで研究と論文をより良いものにしようとしてくださるいわば味方なのだと思えば、ご指摘やコメントも本当に有難いものでした。

 

そして修士課程を通じて私が理解したこと

それは、まだ分からないことが多いということ、もっと知りたいことが沢山あるということでした。

この1年は正直シンドイ日々でしたが、マズイことに研究が面白くなってきてしまったかもしれません。未だ分からないことを解明していくというのはとても面白い行為です。

 

研究は巨人の肩の上に立つとも言われるように、先人たちが積み重ねてきた研究を前提として、新たな発見、解明をして引き続き考えて続けていくことだと思います。

 

そして、世の中をほんのちょっとずつ良くしていくことなんじゃないかと個人的には考えています。

要するに、先行研究も自分の研究も、小さな一歩ずつの積み重ねなのだということ。

多くの時間と労力をかけたとしても、その成果はほんの大海の一滴にすぎないかもしれないけれど、その積み重ねをしていくことで、世の中をほんのちょっとずつ良くしていくことを諦めない姿勢っていうのかな。

私の中では、薄いティッシュペーパーを一枚づつ積み重ねていく感じかな。いつかティッシュボックスに入れて誰かの手に届けられる日が来るといいなぁと思っています。

 

私は修論研究で自死遺族の質的研究に取り組みましたが、その結果としてまだまだ知りたいこと、研究してみたいことが沢山出てきてしまいました。

そんなわけで、このまま無事に修士課程を修了できれば、来年度からは博士後期課程へ進学して更に研究を続けていくことを見込んでいます。

博士号は「足の裏の米粒」って言われてるそうなんですが・・・。

 

この1年あんなに苦しくてやっと終わりが見えたのに、これからまたそれを繰り返すのかと思うと、もしかしてわたしアホなのかな・・・?と思わなくはないですが。w

研究を面白いと思えるうちは、満足するまでチャレンジしてみたいと思っています。

その前に、春休みを存分に満喫するぞー!

 

Thanks,

Chigusa 

 

おまけ

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本キャンパスでは全身像

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山の中のキャンパスでは胸像
という違いね。

 

 

 

 

 

人のために何かを出来ることは幸いだ。

皆さま、ごきげんよう

今日は東京でも雪が降っています。雪が降るとなんとなくウキウキしてくるのは私と犬ぐらいでしょうか。

道路状況や交通機関への影響も予想されていますので、皆さまもどうぞお気をつけくださいませ。そして、インフルエンザも流行っているようですので、もし罹患してしまった方はくれぐれもお大事になさってくださいませね。

 

さて、無事に修論を提出して、方々から労いのメッセージをいただき誠にありがとうございました。

まだ公開審査会や最終提出が残っていますので、完全に終わったわけではありませんが、有難いことに労っていただき、まずはこれまでの苦労が報われた気がしております。

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お花をいただくのはとても嬉しいです。食用も観賞用も。

本当にありがとうございます!

 

前回の記事で「修論は長丁場の独りプロジェクトであるということ」

と書きましたが、プロジェクト自体は自分主体で取り組んできたとしても、沢山の人に支えられて取り組んでくることが出来たことは言うまでもありません。

いつも本当にありがとうございます。>全てのご関係の皆さま

私は幸せなことに本当に人に恵まれていると実感しています。それは親にもよく言われますし、実際にその通りだと思います。

そして、研究やお仕事に取り組むにあたって、住環境、職環境、金銭的な環境にも恵まれていることも事実です。とてもとても有難いことです。

 

先日大学の公式行事にお招きいただき、出席して参りました。

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有難いことに奨学生に採用していただきまして、大学、寄付者の皆さま、先生方、並びに学友の皆さまにも心より感謝申し上げます。誠にありがとうございます。今後もますます精進し、成果を社会へ還元して参ります。

 

そこで

「今は支えていただいている側であっても、いずれ支える側に回ってほしい」

というような主旨のお話を賜りました。

そして、私もそのようになろうと決意を新たにしました。

 

これまで多くの人に支えられ、お仕事や研究に取り組んでくることができました。

でも、今後もし私も誰かを支えていくことができれば、それはとても幸せなことだと思いました。

 

「人のために何かを出来ることは幸いだ」というようなことを、今年の元旦に親戚から言われたこともありまして、今年は特にそんなことを強く意識する年なのかもしれません。

 

「社会や人のお役に立つために」というと、なんとなくおこがましく傲慢な感じがしてしまうのですが、それでももし社会がほんの少し良くなったり、誰かのためになったりすることに関われることは、私の人生の中でも有意義で幸せなことであろうと思います。

 

それは今後お仕事であったり、自死遺族研究であったり、様々な形で可能であろうと考えています。もちろんプライベートでも。

これまで自己中心的な生活を送ってきた気がしますので、自戒を込めて、これからは忘己利他の精神を持ち合わせて参りたいと願う次第です。

 

Thanks,

Chigusa 

 

 

 

 

 

 

 

修論は長丁場の独りプロジェクトだということ。

皆さま、ごきげんよう

寒い日が続いていますね。私は寒さが苦手なんですが、皆さまもどうぞ温かくしてご自愛くださいませね。

 

さて、この度無事に修士論文を提出することができました。

前日に指導教員から有難い最後のダメ出しをいただき、急遽(ご存知の方にはお馴染みの)所パーに泊まり込むことにしましたが、なんとかOKをいただき、無事に提出の運びとなりました。

聞くところによると、大学に泊まり込むことにしていた修論生もいらっしゃるようですし、当日にも指導教員の確認待ちで歯がゆい思いをされた方もおいでのようですが、お互いにまずは提出できて、今はホッとしているところではないかと思います。

まずはお互いにここまでお疲れ様でした!

 

修論提出に際して、まずは調査にご協力いただきました研究参加者の皆さまに心より厚く御礼申し上げます。

修論の謝辞にも記述させていただきましたが、本研究は研究参加者の皆さまのご理解とご協力無しには決して成立しませんでした。本当にありがとうございました。

 

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皆さまの大変貴重な語りは一旦修士論文という形でまとめさせていただきましたが、今後学術誌への投稿という形で社会へ還元していくことで、ご恩返しをさせていただきたいと考えています。どうかもうしばらくお待ちくださいませ。

 

無事に提出ができて先ずは一安心しましたが、来月上旬の公開審査会を経て、中旬の最終提出まで、あと少し最後まで諦めずに粘り強く取り組んでいきたいと思います。

 

全てが終わったら、修論研究や修論執筆について思うことを書いてみたいと思いますが、それにしても、ここまで本当に長かった~💦というのが、いま現在の感想です。

修論って、長丁場なんですよね。しかも、ご指導やご協力は得られるものの基本的には独りプロジェクト。そしてプロマネは自分。基本的には始めから最後まで自分主導でやるしかありません。

お仕事でもこんなに長期間、独りプロジェクトを回すことはありません。

 

文献を読みまくって、研究テーマを決めて、修論計画を立てて研究計画を書き、倫理審査委員会用の申請書を書いて不備は修正して審査を受け、承認が下りてはじめて研究をスタートして、調査の段取りをして調査を行い、文字起しして分析して結果をまとめてみて、学会発表して、分析結果を指導教員から突っ込まれ、1回マヂ泣きして分析をやり直したらプチブレークスルー?があり、修論の論旨を組み立てて、本文を書きまくり、引用文献を正しく記述して推敲と加筆修正を繰り返して、もうどこで終わっていいのかよく分からなくなり、要旨を書いて、自分では納得がいっても前日にダメ出しをいただき、泊まり込み、メールの返信を待ち続け、OKをいただいたらひたすら印刷し、とじ込んでようやく提出に至り、これから口頭試問を経て、ご指摘やご指導に対して加筆修正をして最終提出の見込み。

 

はぁ長い。こうして過程を書き出してみると、まぁよくやってきたと自分で自分を褒めてあげたいです。世の中の修士号、博士号ホルダーの皆さまを本気で尊敬します。

私は正直何度もシンドイ時がありましたし、気が付くと「修論 辛い」とかネット検索していたりして(修論生あるあるらしいw)、途中マヂで病んでしまうんじゃないかと思いました。

私が何より辛かったのが、長期間にわたって終わりが見えなかったことでしょうか。ゴールはわかっているけれど、いつまでたってもそれが見えないというのはシンドイものです。本当に早く終わりたいと、ずーっと思っていました。

 

集中力と持久力と瞬発力が必要。

修論は長丁場の独りプロジェクトだということは、そういうことなんですね。

 

それでもまずはここまでたどり着けたのは、勿論研究参加者の皆さまの存在が一番のモチベーションだったのですが、院女子の仲間や研究室の学友の存在が大きかったです。あ、指導教員、指導担当者の先生にも感謝していますけどね。

 

研究室の学友には何度愚痴をこぼし(🍺にお付き合いいただき)、シンドイ思いを聞いてもらって励ましてもらったか分かりませんし、院女子仲間とは戦友のように励まし合ったことで随分と救われました。月並みかもしれませんが、仲間の存在は本当に大きいものです。

基本的には独りプロジェクトだけど、独りじゃないと思えることで本気で病まずに済みましたので、この場で声を大にして御礼申し上げたいです。

本当にありがとうございます!!!

 

長丁場の独りプロジェクトの最後のゴールまで あと少し、もうちょっとお付き合いいただければ嬉しいです。

きっとこの経験が人生においても貴重で有意義だったと、1か月後には思えるようになることを願って、最後までやり抜きます。

そして、今年のお正月は、旧正月でお祝いすることにします!

 

Thanks,

Chigusa