thousandgrass’s fields

一日一生の毎日を。

たまにはHappy-go-lucky☆で。

皆さま、ごきげんよう

東京はどうやら梅雨明けしたようです。夏ですね、わたくし待望の。

でも、梅雨で傘をさした記憶があまりないので、今年の夏は水不足では?とちょっと心配になったりもします。

 

さて、突然ですが、最近有難いことに私は物凄くツイていると思います。

先日とあるアーティストの公演を観に行ったのですが、帰路で偶然そのアーティストご本人様と電車で乗り合わせまして、ほんの数席違いという奇跡的な環境の中で独り至福の時間を過ごさせていただくという幸運に恵まれました。

その他にも最近ほんの偶然が奇跡的にツイていて、今年の運はもう使い果たしたんじゃないかと思いますが、この流れでこれからもツキまくっていきたいと思います。

なんか不思議なことに、調子よく流れに乗れる時ってありませんか?そんな時はあまり頭で考えず、直感で流れに乗ってしまったらいいと思うのです。

たまにはHappy-go-lucky☆で。

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※Happy-go-lucky☆イメージ図。

シュールなラッピングトレインが目の前に停車したのも、ツイてました。www

 

私は最近のツキに乗っかって、勝手に研究助成金と本ツアーもとれる気がしてきました。w

 

実際に、私が通信制の大学に入学したのも、大学院に進学しているのも、自死遺族の会に関わっているのも、自死遺族がテーマの修論を書いたのも、いわゆるデスカフェ「カフェあの世この世」を始めたのも、とあるアーティストにドはまりしているのも、とある公式グッズの製作者の方と直接コンタクトできたのも、人との出会いも、就業先も、お仕事の内容も、その他いろいろほんの偶然の産物に思えてなりません。

自分では全くそんな未来は思い描いていなかったのに、目の前に来た流れに乗っかってみた結果、物事がうまく運び出したということは数えきれません。

勿論その全てに関わる人のおかげでもあるので、心から感謝深謝しております。

しかしながら、自分が思うよりも、意外とこの世界って上手く優しくできているような気がします。

 

就活中の大学生にも、自分が入社したいと願う会社も大事だけれど、合格した会社に入ってみるのもいいよ、と話しています。実際私がこのパターンでした。

チャンスの女神は前髪しかない(らしい)、という例えも意外と的を得ているかもしれませんね。その絵面を想像するとちょっと気持ち悪いですが。;

とりあえず目の前に来た流れに乗っかってみな!ってことでしょうか。

 

ただ、その中で思いもよらなかった出来事が起こることもまた事実でしょう。

引き寄せとか願いは叶うとか、思考が現実化することはままあると思いますが、人生とか出来事を全て自分がコントロールできると思い込むのは、ちょっと危ういと感じます。

コントロールできなかった時とか、思いもよらない結果になった時にでも、その現実を受け止めたり、決して他人や自分のせいにしないことも大切なのだと思います。

自らの無力さを知るとか、謙虚になるとか、自分の人生に真摯に向き合っていきたいものですね。

特に、人の死生の瞬間って、本来人間がコントロールできるものではないと私は考えています。 たとえば「自死」や「安楽死」についてはいろいろ述べたい考えがありますが、長くなりそうなのでまた別の機会に。

 

東京は梅雨明けしたことですし、たまにはHappy-go-lucky☆で今年の夏も楽しく過ごしましょう。

 

Thanks,

Chigusa

 

 

 

 

 

 

 

ア・フュー・グッドメンであること

皆さま、ごきげんよう

 

気が付けば5月もおしまいですね。

6月は梅雨の季節ですが、雨降りは苦手なので夏が待ち遠しいです。

一年のなかで、夏だけ短い気がするのは気のせいですか?単に私が季節は夏とそれ以外しかないと思っているからでしょうか。

春・夏・秋・夏ならいいのに。要するに、冬は無くてもいいのにと思っている次第です。

 

さて、このところアメフト関連のニュースが尽きないですね。

私もアメフトを観るのは大好きで、今回の騒動は非常に残念です。

 

一連の騒動を見ていて、ずっとどこかで見たことがあるなーという既視感を抱いていました。

それは、↓コチラ↓の映画。  

ア・フュー・グッドメン [Blu-ray]

ア・フュー・グッドメン [Blu-ray]

 

 

私はこの映画(というよりむしろトム)が好きで何度も観ているのですが、一連の騒動と構造や命令系統と人間関係が良く似ていると思います。

映画では海軍基地と軍事法廷が舞台ですが、絶対的な権力を持つ大佐が命令を出したことを認めるのか、命令に従うべき兵士はどう行動したのか等、登場人物と行動を置き換えて観てみると、一連の騒動に当てはまるなぁと思っていました。

 

本作の最大の見どころは、終盤の軍事法廷でのトムと大佐の迫真のやりとり(怒鳴り合い)と、最後の兵士の発言と態度です。

特に、最後の加害側の兵士が述べる言葉には心が震えました。

a few good men であるとは、そういうことなのだろうなと。

ご興味のある方は、是非ご覧になってみてくださいね。 

 

くわえて、とある勉強会で哲学を通した対話についての本を読んだのですが、 

この中で「正義」についての対話が出てきます。

 

たとえば、「誰も見ていなかったとしても正義を成せるか」というようなこと。

 

さらには、ロード・オブ・ザ・リングの最後の方の重要な場面でも、誘惑に負けてしまうフロドではなくて、サムが最後まで正義や信念を貫くというようなこと。 

 

自分に置き換えてみると、果たしてどう行動するだろうか、a few good menであれるだろうかと考えさせられました。

 

一連の騒動を通じて、多くの人がいろいろなことを考えたと思います。

決して他人事ではないと感じた方も多いのではないでしょうか。

批判は簡単ですが、じゃあ自分はどうなのか?と考える良い機会になったかもしれませんね。

 

どうしても ア・フュー・グッドメンのことが頭から離れず、つれづれに書いてみました。

おしまい。

 

Thanks,

Chigusa

 

 

 

 

 

 

 

 

 

死生の対話の場「カフェあの世この世」in May のご案内('18 5/12 14:00-16:30@浅草橋)

皆さま、ごきげんよう

日本ではGW後半に入りましたね!皆さまいかがお過ごしでしょうか?

5月の嵐は「メイストーム」っていうのですね(まぁそのままですけどね)。

 

さて、以前「カフェあの世この世」をはじめました、という記事をアップしました。

 

thousandgrass.hatenablog.com

 

「カフェあの世この世」は、死にまつわる様々なテーマについて語り合う対話の場で、いわゆる「デスカフェ」の一つです。

www.facebook.com

 

前回は初めての開催ということで、トライアル的な意味もあったのですが、ご参加者の皆さまのお陰で良い対話の場となったと思いますので、この度本格的にスタートすることとなりましたので、ご案内させていただきます。

 

死生についての対話やデスカフェにご興味のある方は是非ご検討くださいませ。

そして、どうぞお気軽にご参加ください。

私も世話人の一人として参加いたします。

 

www.facebook.com

 

カフェあの世この世 in May 

日時:2018年5月12日(土) 14:00 - 16:30

会場:浅草橋のカフェ(浅草橋駅から徒歩5分程度)

 

定員:15名(先着順)
参加費:1,500円(遅刻 or 途中退席でも全額申し受けます)

*カフェは14:00〜16:30頃の予定で行いますが、遅刻または途中退席OKです。

 ご参加希望の方は、以下のアドレスまでe-mailにてお申込みください。
先着で15名までの方に会場の詳細をお知らせします。

 cafe◆ltn288.net 

*メールアドレスは◆→@に書き換えてお送りくださいませ

**@の後のアルファベットは、l(エル)t(ティー)n(エヌ)です

 

件名に「カフェあの世この世 in Mayに参加希望」とお書きいただき、下の内容をお知らせ下さい。

・お名前
・ご連絡先

折り返し詳しい場所のご案内メールをお送りさせていただきます。

 

当日は以下のテーマのうち1つを参加者全員で相談して選んで対話します

参加者全員でのテーマ決めは対話のウォーミングアップにもなりますので、このような形式の対話やデスカフェに初めて参加される方でも、まったく問題なくご参加いただけます。

 

◆「弔いとは何か?」
直葬(通夜・葬儀を省略して火葬のみの葬送の形)、無縁墓(継承者不在で放置された墓)、墓じまいなどがニュースで取り上げられたり、仏壇を置かない、位牌を持たないという考えの人も増えつつあったり?と、日本人の死生観の変化を指摘する声が目立ち始めました。
では、そもそも弔い、供養とは何か。大切な人が亡くなったら自分はどうしたいのか。など、さまざまな視点から「弔い」について語り合いませんか?


◆「他人の命/自分の命を左右できるのか」
>4月初旬、評論家の西部邁さんの死後、自殺をほう助したとして2人が逮捕されたニュースが世間をにぎわせました。また、著名な脚本家が安楽死したいと表明したこともありました(その後、発言を撤回)。
他人の命、自分の命を、他の人が、あるいは自分自身が、左右できるのでしょうか。命を断つというだけでなく、本人の意思を無視した延命治療も、命を左右するという意味では同じ延長線上にあるのかもしれません。命を左右できるのか、語り合いませんか?

 

どちらも興味深いテーマだと思いませんか?

前回はテーマ決めから参加者全員での面白い話し合い(対話)がスタートしていました。

他者の話や考えを聴くというのは、とても面白い行為です。自分では全く考えもつかなかった意見や考え方が出てきますし、へぇー、ほぉーと目から鱗が落ちたりしますし、文字通り「対になる」話ほど面白いものです。

 

そもそも死にまつわる様々なテーマには答え、正解というものはありません。

そして、対話は決して一つの答えを導き出すのではなく、「対になる話」をみんなで喧々諤々しながら熟成、発展させていき、知見を広げたり、みんなで新しい思考を導き出していくという面白さやワクワク感があるものだ、というのが前回を終えてみての私の感想です。

 

決して難しいものではなく、自分の考えを自分の言葉で語る、そして対になる他者の話にも耳を傾けるというのも面白いチャレンジですし、是非対話の面白さを多くの人に体験していただきたいと思います。

 

くわえて、死にまつわる様々なテーマ、死生のアレコレというのは、私たち全員にかかわることでもあるにかかわらず、なかなかオープンに話しをする機会がありません。

しかしながら、誰にとっても「わたくしごと」であるはずの死生のことについて、みんなで考えてみる、考え続けてみるということはとても大切なことだと考えています。

「死」が忌避されて私たちから遠ざけられている現代の日本だからこそ、年齢や性別、経験、立場等に関係なく死について真正面から対話することの意義があると思います。

 

今後も定期的な開催を予定しておりますので、今回は残念ながらご参加いただけない場合でも、ぜひ次回以降にご参加いただけますと幸いです。

 

何より「カフェあの世この世」は、参加者全員で創り上げていく対話の場です。

あなたのお越しを心よりお待ちしております。当日会場でお会いしましょう。

そして、一緒に対話を楽しみましょう!

 

Thanks,

Chigusa

 

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デジタルペーパーで研究を快適に。

皆さま、ごきげんよう

日本はGWですね。気候も良くて清々しい気分になります。

日頃よりは時間がとれそうなので、この際にじっくり英語論文を読もう!と意気込むのですが、アメフト(早慶戦生中継)が面白かったり、撮りためている海外ドラマも観たいし、なかなかねーと言い訳ばかり考えつきます。

 

さて、新学期に入ってから、そんな私にピッタリな?デジタルペーパーという機器を主に研究用に使い始めています。

あくまでも個人的な感想ですが、研究が快適になる機器の一つだと思います。

 

私が使用している機器は↓の商品です。

www.sony.jp

ソニー デジタルペーパー dpt-rp1

ソニー デジタルペーパー dpt-rp1

 

 

大きさはほぼA4サイズで、なんといっても軽いのが快適です。

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今度A5サイズが発売されるみたいですね。

研究でもお仕事でも基本的にA4サイズのドキュメントを読むことが多いので、A4実寸サイズというのは馴染みがいいと思います。

 

研究では文献を読む機会が多くあるのですが、私はこれまで文献を全て紙に印刷して読んでいました。

PCで読むのはスクロールが必要だったり、老眼だったり目が疲れたりするのと、マーカーを引いたり、メモを書いたり、付箋をつけながら読むことが多いので、どうしても紙に印刷していました。

当然その分紙やインクを消費しているし、何よりゼミや講義のために複数の文献を持ち歩くと紙って意外と重いんですよね。移動時に文献を読むのもかさばるし。

紙のファイルをするにしても溜まってくると場所をとるし、当該の文献を探して読み返すのもひと苦労でした。

 

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Cvinar, J. G. (2005). Do suicide survivors suffer social stigma: A review of the literature. Perspectives in Psychiatric Care, 41(1), 14-21.

 

デジタルペーパーに印刷(「印刷」するとpdf.形式で保存)するようになって、

・当然のことながらペーパーレス(エコ)

・複数の文献を持ち歩いても重くない

・ファイリングが楽、当該の文献をすぐに探し出せる

・おそらく目にも優しい(読み易い)

というわけで、文献を読むストレスが減ったといえます。

 

くわえて

・マーカーを引ける

・書き込める

ので、紙に印刷した時の利点がそのまま再現できるといえます。

モノクロでしか表示できないのは残念な点ですが、慣れれば気になりません。

本商品はpdf.文書を読むことに特化されているので、タブレットとの使い分けは好みが分かれるかもしれません。

文献を読む+書き込む→ファイルしていくという研究上の作業には向いていると私は思います。

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Cvinar, J. G. (2005). Do suicide survivors suffer social stigma: A review of the literature. Perspectives in Psychiatric Care, 41(1), 14-21.

 

そして私が何より便利だと感じているのが、

・手書きの☆印、*印を認識して検索してくれる

という機能です。

 

文献を読んでいてマーカーとか書き込みが多くなると、後からどの箇所が重要だったのか、どの部分を引用したいのか、結局よく分からなくなっていたりします。

これを痛感したのが、修論文末の引用文献リストを作成するときでした。

引用した文献は管理してあるものの、どの箇所を引用したのかを再確認するのに意外と苦労しました💦

そこで、重要な部分には*印、引用箇所には☆印というように自分なりの使い方を決めておけば、後からの検索が容易にできるのは便利だろうと思います。

 

それから、文献の余白だけでなく、サイドノートを作成できる機能も便利です。

このまま研究ノートの一部として保存できるのはいいですね。

右側の手書きノートは固定表示したまま、左側の文献はページをめくれます。

自分なりの文献のまとめや構造化抄録を作成しておいても良いかもしれません。

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Cvinar, J. G. (2005). Do suicide survivors suffer social stigma: A review of the literature. Perspectives in Psychiatric Care, 41(1), 14-21. 

 

そして、文献等を読むだけでなく、新規でノート(各種テンプレートあり)を作成できますので、文字通りゼミノートや研究ノートを保存しておけば、やはり当該箇所を探したり、見返したりするのが楽です。これも紙にはない快適さです。

その他、PC上のファイルとデジタルペーパーのファイルを自動同期できたり、手書きのノートをpdf.で出力できたり、いろいろと便利な機能があります。

 

というわけで、今年度からの博士後期課程の研究はデジタルペーパーを活用して効率化を図りたいと思います。

 

研究だけでなく、お仕事でもパワーポイント等の資料をデジタルペーパーにpdf.印刷しておけば打合せ時に書き込みが可能ですし、履歴をすぐに探せるので会議メモ、議事録としても適しているのではないでしょうか。もちろん職場のペーパーレスになるので、コスト削減にも繋がりそうです。

 

と、利点ばかりを述べてきましたが、前職場の商品ではあるものの、決して回し者ではありません。

今後も良い商品の開発と発売に期待したいと思います。

 

ただ、デジタルペーパーで研究が快適になることと、研究が順調に進むことは別でしょうね。

研究が地道であることには変わりはないでしょう。

というわけで、このGWもデジタルペーパーで地道に文献を読み進めたい次第です。

 

皆さまも良いGWを!

 

Thanks,

Chigusa

 

 

 

 

 

 

ILC(国際リニアコライダー)ってなんですか?

皆さま、ごきげんよう

新年度、新学期が始まってからなんだかもう随分経ってしまいました。

 

いろいろ書きたいことがあるのですが、今日は最近知った面白い話題を。

 

ILC(国際リニアコライダーって知っていますか?

私は今まで全く知らなかったのですが、とあるご縁でILC Supporters発足の発表会に参加させていただきました。

 

発表会のことは報道されていますのでご覧になった方もいるかもしれません。

www.jiji.com

 

国際リニアコライダー計画については私が説明するよりも↓コチラを。

aaa-sentan.org

 

このILC計画を応援していきましょうというのが、ILC Supporters発足の主旨です

ilcsupporters.jp

 

その一部を転載させていただきますと

宇宙誕生の瞬間「ビッグバン」を再現するリニアコライダー

宇宙のナゾを解き明かす突破口となる実験装置が「リニアコライダー」です。
全長約30キロメートルに及ぶトンネルのなかで、光速に加速された電子とその反物質である陽電子のビームを正面からぶつけると、その超高密度のエネルギーの衝突の中に「宇宙の誕生から1兆分の1秒の世界」が再現されることは世界の物理学者たちの共通認識となっています。
つまり、リニアコライダー計画とは、約140億年前に起こった宇宙創生̶̶ビッグバンの瞬間をこの地上で再現しようという実験なのです。
現在、素粒子と宇宙の最新の研究では、これまで真空だと思われていた宇宙空間にはヒッグス粒子ダークマターダークエネルギーといった未知のエネルギーと物質が満ちていることがわかってきました。
さらに4次元を超える時空の存在も示唆されています。それらの正体が解明されると、わたしたちの世界の常識は一変します。

 

というわけで、正直正しい理解は難しいところですが、何やらロマンを感じる面白そうな試みだなというのは感じられるのではないでしょうか。

日本はこのILCを建設する最有力候補地となっているそうで、その誘致のために応援していきましょう!という活動です。

そのためには理解、周知が必要ということで、より多くの人がSupportersになることが期待されています。

 

 

ところで。

実は私も以前から素粒子とか量子力学に興味を持っておりました。

特に、「シュレーディンガーの猫」のお話が面白くて、大好きなんです。

 

youtu.be

 

そこでよく話題にするのが

「死んでいない」

ということばの意味。

死んではいない(生きている) のか 死んでしまって今はもういない(死んでいる) のか、その可能性が重なり合っているということを表しているように思うのです。

 

そして、更に興味深いのが観測することによって振る舞いを変える電子のお話。

不可思議なことが多くてなんだかワクワクします。

 

youtu.be

 

素人にはなんとも不思議なお話ですが、人が観察する、たとえば思いを馳せる、思考することによって、物事や出来事の行方が変わるのかもしれない、ということは感覚的に何となく理解できるような気がしませんか。

始めから出来ないと思っていればきっと出来ないし、出来ると思っていれば出来る可能性がある。とか、信じるものは救われる、みたいなことに通じるのではないでしょうか。

そんな人の思考や希望についてのお話はなかなか面白いですよね。

 

しかし世の中まだ分からないことだらけなんですね。

私はいま大学院で主に臨床死生学の研究をしていますが、それこそ人間科学なんてまだまだ分かっていないことだらけだし、人間に対して「分かる」という意味もよく分からないのかも?しれないですが。

知らんけど、って話です。w

 

いずれにしても、人知を結集してみんなで何かを解き明かしていこうという試みはとても面白いものです。

私もILC計画を応援したいと思います。

 

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お土産をいただきました。

ありがとうございました!

 

Thanks,

Chigusa

 

修士課程修了、そしてその先へ。

皆さま、ごきげんよう

桜が満開ですね。

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さて、この度無事に修士課程を修了し、人間科学修士の学位記を受領いたしました。

改めてご関係の全ての皆さまに感謝、御礼申し上げます。ありがとうございます。

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えんじ色(学士)の学位記はもとより、黒色(修士)の学位記を手にして、なんとも感慨深いものがあります。

それは、私は修士研究、修論執筆になかなか苦労したからなのかもしれません。

その結果として、修士の学位記を受領したことはとても嬉しくて幸せなことだとしみじみ思うわけですが、同時に別の想いが沸き起こることでもありました。

 

修了式で、総長、学科長、学部長の先生方からご祝辞を賜ったのですが、深く心に残るお話がいくつかありました。

 

「学びは終わるわけではない」

「『知る』とは実践してからこそ」

「関係とは有るか無いかではなく付けられるか付けられないか」

「速く行くなら一人で 遠くへ行くなら仲間と共に」

 

というような主旨のお話を賜り、改めて修士学位記を手にした意味を考えるわけです。

つまり、これからも学び続けて実践を通して社会へ還元していくこと、積極的に人や社会との関係性を築いていくこと、仲間と共に遠くを目指すこと。

今後はそんなことが大切なのだと深く胸に刻む次第です。

 

修了の喜びにつかるのもつかの間、4月からは博士後期課程の研究、TAとしてのサポート等が始まる予定です。

またいばらの道を進むのかと思うと自分でもよくやるなぁと思います。

しかしながら、自分が面白いと思うことをやり続けたり、何を?どうしたら?社会での実践として還元できるのかを考え続けることはとても刺激的ですし、人や社会との関係性を持ち続けて仲間と共に遠くを目指すのは挑戦であり、冒険のようでもあると思うのです。

 

まぁまた度々シンドイことがあることは容易に想像がつきますが、、、諦めないこと、やり続けることで、またその先の世界が開けることを信じたいと思います。

 

90歳以上の方に「人生を振り返って唯一後悔していることは何か?」と尋ねると、

「もっと冒険しておけばよかった」

と90%の人が答えたというアンケート結果があるそうです。

引用:ひすいこたろう(2005)、『3秒でハッピーになる 名言セラピー』、p.30

 

というわけで、これからその先へ向かって冒険してみようと思います。

その先にどんな世界が開けるのかを楽しみに、張り切って元気にいばらの道に突き進みたいと思います。

 

皆さまもいつも心に冒険心を。

そして一日一生の毎日を。

 

Thanks,

Chigusa

 

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死生の対話の場「カフェあの世この世」はじめました。

皆さま、ごきげんよう

だいぶ春らしくなったきましたね。とはいえ、朝晩はまだ肌寒い日がありますので、要注意ですね。花粉症をお持ちの方もお察しします。

私は猫アレルギーがあるので猫のいる実家に帰ると具合が悪くなっていたのですが、とうとう実家で飼っていた3匹の猫がみんな虹の橋を渡ってしまいましたので、寂しくもあります。

 

さて、表題の通り、このたび死生の対話の場「カフェあの世この世」はじめました。

冷やし中華はじめました」みたいになってしまいましたが、、、簡単にご紹介させていただきますね。

 

私はもともと市民のための死生教育のことを考えていたのですが(修論のテーマとしてはボツに)、市民の活きた死生のことは座学ではないよなぁと思い、どのような形が良いかを思案していました。

市民による市民のための死生の(お話ができる)場を設けてみたいと考えていたのです。

大学院でワークショップの講義を受講してみて、ワークショップも出来るかも?と思ったりしていました。(今後ワークショップも考えてみたいと思います。)

そんな中、東海地方での「死生学カフェ」に参加したことがきっかけで、ぜひ東京でも開催してみたいと思い、同じ意思をもつ仲間たち(世話人)と相談をするようになりました。

 

それから数か月を経て、このたび東京で「カフェあの世この世」の初回を開催することができました。

まずはご参加いただいた皆さまに、厚く御礼申し上げます。誠にありがとうございました。

初めての試みで至らない点もあったかと思いますが、何より全員の力で死生の対話の場を創り上げてみたこと、そして恐らく有意義な死生の対話ができたであろうことがとても嬉しかったです。

わりあい短期間で仲間(世話人)のチームで当初の構想をまずは実践に移せたことも、私にはとても嬉しいことでした。個人的に今年はチームの年だと考えていますので、チームで何かを生み出す喜びを味わうことはgreat!なのです。

 

「カフェあの世この世」は、死にまつわる様々なテーマについて語り合う対話の場です。(カフェあの世この世 趣旨書より)

 

ということで、「あの世(=死)この世(=生)」というネーミングも絶妙に言い得ていると思いませんか?

いわゆる「死生学カフェ」や「デスカフェ」の位置づけではあるのですが、「死生学」とか「デスカフェ」と書くとなんだか堅いし小難しそうだしとっつきにくい感じがするので、「カフェあの世この世」という命名を私はとても気に入っています。

 

命名の由来は以前の記事に書いてあります。

当時からこのような場を設けたい思いを綴っていましたので、今回実現に至ったことは念願が叶ったということになりますね。嬉しいし、人生って本当に面白いなぁ。

 

thousandgrass.hatenablog.com

 

今後もし夜の時間帯にお酒を飲みながらの開催が実現する運びとなった時には、もしかすると「スナックあの世この世」になるかも!?しれません。 乞うご期待です。

 

当日の対話のテーマは、予め2つのテーマ(この世のことorあの世のこと)を用意しておき、当日ご参加者+世話人を含む全員の話し合いで一つのテーマを選定することにしました。 

 

そして、今回選ばれたテーマは

「一人称の死・二人称の死・三人称の死」(この世のこと)でした。

 

全員でテーマを選ぶ話し合いから対話はスタートしていましたし、非常に興味深い話し合いになりました。

実は、私はもう一つのテーマ(あの世のこと)が選ばれるんじゃないかな?と思っていたのです。が、見事に私の期待は裏切られました。個人的には意外だったけれど、話し合いの過程は逐一なるほどなぁと感心しきり。テーマ選定のプロセスもとても興味深いものでした。

そして、「対話」ということばの通り、「対」になる意見が出れば出るほど、対話は興味深く面白くなるのだと実感した次第です。

 

本題の「一人称の死・二人称の死・三人称の死」についての対話は、はじめグループで、その後に全体でという流れでしたが、どちらも非常に興味深く、面白く、有意義な対話になったと私は思っています。

参加者全員が自由に自分の考えや意見を自分のことばで語り、それに対する反応や疑問が続いたり、別の視点でのお話も続々と出たりして徐々に対話の場が創られていく。

そのライブ感には良い意味で圧倒されましたし、私は静かにとても感動しておりました。私の未熟だった点につきましては、どうかご容赦くださいませ💦

 

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グラフィックファシリテート(板書の一種)も素晴らしかったお陰で、初回にしては良い対話の場になったのではないかと振り返っております。

なんだか手前味噌みたいになってますが、、、参加者全員のご理解とご協力、これまでのご経験、深い思慮と真摯で正直なご発言の賜物であったことは間違いありません。

 

全員が市民としての対等な立場(&初対面)で、死生についてそれぞれの想いをそれぞれのことばで対話する、という場面を目にする機会はこれまでなかなかありませんでした。

院ゼミなどの学術的な場とは違ったリアリティと説得力がありましたし、人と人との対話って、すごいエネルギーとか叡智とかが生み出されるのだなぁと感じました。

当初より専門家主導ではなく、市民主体での死生の対話が一つの目標でもありました。

 

テーマに対する異なる見方、捉え方、感じ方がまるで地層を重ねるかのように積み上げられて、全員の力でテーマに対する対話が形成されていったように私には見えました。結構幅広く多面的で彩のある対話になった気がします。

当初私が考えていたこととは想像もつかないようなお話にまで発展したことも、驚きであり発見でした。だから面白いのですよね、人と人とが交わるって。私にとっても、とても有意義な経験でした。

 

「死生」にまつわるお話は、タブー感があったり忌避的であったりして、市民の間で自由に語られることはまだまだ少ないのかもしれません。

しかしながら、「死生」のことは人間が全員関わる大切なことであろうと私は考えています。

全員が避けては通れないことなのに、堂々と話すことは避けられがちなのは何故なのでしょうか?

 

今後そんな疑問を払拭していける予感がしています。

「カフェあの世この世」は今後継続開催を見込んでおりますので、今回の反省点を活かしてこれからも大切に育てていきたいと思います。

いずれ皆さまのご参加をお待ち申し上げております。

 

Thanks,

Chigusa