急に寒くなってきましたね。
ただでさえ早起きは得意じゃないのに、朝お布団から出るのが益々つらくなってきました。
しかも、急に寒くなる季節の変わり目は、喘息注意報発令中。
皆さま、ごきげんよう。
早起きと寒さが苦手な千草です。
ここ数日、ちょっとテンション低めです。
自分の興味のあることを突き詰めて考えていくことが研究だといえますが、ときに食傷気味になることがあります。
特に私は臨床死生学という領域、特に死生観についての研究に取り組んでいるので、必然的にヘビーなテーマが多くなります。
それは仕方ないし、個人的な興味としてはとても面白いのでいいのですが。
とはいえ、死にまつわるいろいろなテーマを考えてたり、研究計画を構想しているうちに、
何が何だかよくわからなくなってきたり、
なんでこんなことをやっているんだろうか?と自問自答したり、
何かとても不遜なことをやっているような気がしてきたり、
こんなことやって意味あるのか?と悶々としたりして、
テンションだだ下がりのこともあります。
つい最近、研究計画の相談に乗っていただいていたのですが、
(おそらく意図的な)クリティカルなご意見とご指摘を頂戴するうちに、
何をどうしたいのか?自分でもよく分からなくなってきてしまいました。
そんな時は初心に帰れ、ということでそもそもの動機や想いに立ち戻ってみたら、
ますます混乱してきました。ハハハ
(※混乱しているところのイメージ図。w
某「人とぺ〇サス」とか、こういう変なの好きなんです。)
それで、そんな混迷状況を後日正直に打ち明けてみたんです。
そしたら、
「なかなかいい感じになってきたね。
それでこそ修士課程に進んだ意味があるんだよ。」
というようなことをご教示いただきました。
本人的には、研究計画も上手いように構想できないし、ここで初心に立ち返るような後退感に焦燥感や苦しさを感じていたわけですが、意外なご教示にまた困惑。。。
でも、ちょっと元気と勇気を取り戻せた気がします。
自分が思い描くことをガンガン進められることは理想的ですが、
時に立ち止まって動機や想いを見つめなおしてみて、いろんなことを考えまくって、悩んで悶絶して、苦悩して、迷いまくって、それでも好奇心を持ち続けて考えることを止めないことって、意外と大切なのかもしれません。(特に研究に関わる上では。)
迷って苦悩することは悪いことではないのかもしれない。
と、ちょっと自己説得できる気がしてきました。←今ここね
そういえば、ちょうど一年前にも同じような出来事がありました。
学部卒論の初稿をチェックしていただいたら、やはりクリティカルなご意見とご指摘を頂戴して、初めから構成を大きく見直したり、大幅に書き足さないといけないような状況になりました。
推敲というよりは、根本の論拠を見直さないといけなくなっちゃって、すんごく苦しかったのです。
当時はこの期に及んでなんでー!?と、うらめしく思ったものですが、今となってはこの出来事があったからこそ、最後まで筋立った論旨を展開できたし、論旨に厚みが出たし、最後まで諦めずに粘り強く卒論を書き上げることができたと思っています。
当時は本当にほんとうにしんどかったのですが、その分完成した時の達成感もひとしおだったことは言うまでもありません。今では感謝しています。
そんなことを思い出していたら、今のこの迷いや苦悩もプロセスの一部なのかもしれない。
そんな気がしてきました。そして修士過程に進んだ意味がある気もしてきました。
さんざん迷い倒して苦悩したことは、やっぱりムダじゃなかったんだって、また修論提出時に思えることを願いたいと思います。
でも、この先まだ苦しくなることが沢山あるんだろうなー。
たとえその苦しさで何度も撃沈したとしても、何度でも逃げないガッツは持ち続けたいと思います。
今、ちょうどTA(ティーチングアシスタント)として学部3年生の学会発表や、学部4年生の卒論のお手伝いをさせていただいているところです。
彼ら(とてもカワイイ)も私と同じように迷い倒してかなり苦悩しています。
そんな姿を見ていて、たまに先輩風を吹かせて口では偉そうなことを言ったりするのですが、
ほんとうは
私だってみんなと同じなんだよ
迷って苦悩することは決して悪いことじゃないんだよ
いつか必ず報われる日が来るよ
って、そっと胸の中で声をかけてあげたいと思います。
私自身に対しても。w
Thanks,
Chigusa