皆さま、ごきげんよう。
早速ですが、今日は科学技術と死生のお話です。
お仕事の関係で科学未来館を訪れる機会がありました。
今回はあいにくあまり時間がなかったためにテーマを絞って見学してきました。
本来とても面白い展示が多い楽しい施設なので、もしご興味があればぜひゆっくりお時間をとって行ってみてくださいませね。
今回特に見てきたのは、アンドロイドのコーナーでした。
この説明員さん(オトナロイドさん)とはお話ができます。
ただし、オトナロイドさん(の話者)は別のブースに入って、カメラ越しに相手の人とお話しすることができるので、正確に言えば
「人間そっくりの見た目を持つ遠隔操作型ロボットのオトナロイドさん」
であって、オトナドロイドさん自身の意思や判断でが喋っているのではありません。
見た目はもう人間そっくりですし、「実に精巧だなぁ」という印象と、
個人的には「ちょっと怖いなぁ」という印象を受けました。
何が怖いか?というと上手く説明できないのですが、違和感というか、脅威というか、
別に何も危害はないわけですが、あまり進んでお話したいとは私は思いませんでした。
むしろ旧型ロボット的な
ASHIMO君の方がカワイイ感じがして好感が持てました。
ASHIMO君は、お話したり(やはり話者は別にいますが)、ボールを蹴ったり、手話を交えて歌を歌ってくれたりするんですよ。
片足ケンケンもしてくれて、両足が空中に浮いている間のバランス調整が難しいんだよって、自己解説付で教えてくれました。
以前デモの最中に派手にコケてしまった悲哀漂う無残な姿を動画で見かけたことがあるのですが、それよりもきっと改良が重ねられているのでしょう。
思っている以上にスムースで愛嬌のある動きで、なんだか可愛かったです。
アンドロイドにお話を戻しますが、私が何を考えたか?というと、
「アンドロイドは死ぬか?」
という疑問でした。
恐らく技術的には半永久的に生き続けることができるのでしょう。
しかしながら、アンドロイドに寿命を設定するのか否か?については、
人間が設定する必要があるのではないかと推測します。
科学者やエンジニアの死生観や生命倫理が問われるものと思います。
「アンドロイドは電気羊の夢を見るか」という小説(ブレード・ランナーの原作)がありますが、似たような疑問?で
「アンドロイドに死は訪れるか?」という命題についても、真剣に協議されるべき時期に来ているようですね。
当たり前ですが、アンドロイドは人間ではありませんので、寿命という概念が適切かどうかも分かりませんが、少なくとも限りなく人に似せて作られているアンドロイドは、今後どのように位置付けられていくのか、科学技術的な側面に加えて、生命倫理的な側面の検討も必須なのだと感じました。
恐らく既にそんな議論も始まっているだろうと推測します。
人間とアンドロイドの違いは何か?を問うということは、すなわち
人間とは何か?と問うことと同じことであろうと考えられます。
そして、人間の死とは何か?人間として生きているとは何か?
が問われているようにも感じました。
私は近未来を描いた映画が大好きでこれまでにかなりの数を観ていますが、
機械、AI、ロボット、アンドロイド VS 人間 という構図はよく出てきますよね。
アンドロイドに人格を与えるか?といようなテーマで描かれた映画もあります。
また、アンドロイドに寿命を設定してあったのに、AIが暴走して自ら寿命設定を解除してしまった、というようなお話もありました。
「シンギュラリティ」という概念も興味深いですし、今のうちによくよく人間が考えなければならない大切な課題であることを実感します。
どこまで現実的なのか分かりませんが、少なくともこれまでは映画の中で描かれてきた世界が、いずれ現実になる日もそう遠くないのかもしれないことを考えると、
科学技術の発展の一方で、人間の生きる意味とか存在意義、死生観や生命倫理が益々問われてくるのではないか、というようなことを考えたひと時でした。
(おまけ)
やはり科学未来館のドームシアターで上映されている「9次元からきた男」というプログラムがかなり面白かったです。
もともと量子力学とかヒモ理論とかにとても興味があって好きだったのですが、
このプログラムでは万物の理論や張弦理論の謎に迫る、圧倒的に迫力ある映像を見ることができますので、一見の価値ありです。
ご興味ある方は是非に!
今日は科学技術と死生のお話でした。
おしまい。
Thanks,
Chigusa
PS: ↓↓↓ネタバレあり↓↓↓
ネタバレ:9次元からきた男が途中からジャック・バウアーに思えて仕方ありませんでした。w