thousandgrass’s fields

一日一生の毎日を。

死生について考え続けてみること。

皆さま、ごきげんよう

東京は梅雨らしくどんよりな空模様が続いていまして、こんな時期は猫にでもなりたい気分です。

実家で長らく猫を飼っていますが、とりあえずずーっと寝ているし、食べたいときに食べて、寝たいときに寝る、みたいな本能の赴くままの生活って、たまにいいなーと思ったりします。w 

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3匹いたのに、1匹(♀)になってしまいました。

やっぱり♀の方が長生きなのかしら?

 

本来猫は大好きなのですが、実は猫アレルギーです。辛い、、、

 

さて、このところの報道で恐らく多くの方が目にされている通り、愛する人を亡くすというのは、どんなに辛く深い悲しみと絶望に沈みゆくのか、きっと皆さまも想像されることと思います。

死生のことについて考えてみた方も多かったのではないでしょうか。

 

生命倫理の教授であった先生の言葉がとても印象的で、よく覚えています。

 

「考え続けることが大切。」

 

生命倫理や死生観は、そう簡単に正誤の答えが出せるようなものではありません。

そして、人それぞれによって考え方や捉え方も異なることでしょう。

でも、そこで考えることを止めるのではなく、一緒に考え続けることが大切である、というご教授でした。

私はこのことをとても重要だと思いましたし、私自身もそうありたいと思っています。

 

現在大学院で主に臨床死生学(特に自死遺族)の研究に取り組んでいますが、自分の考えを述べた時、指導教員からクリティカルな指摘を受けることも多々あります。

一瞬モヤモヤしたりもしますが、まさに考え続けるための訓練をしていただいているのだろうなー、と感じます。(なぬぅー!? ってなることもありますけどね。w)

自分の主観の中だけの思考に留まらず、クリティカルな指摘や反対意見についても考えてみるって、大変ですけれど、考え続けていくためには大事なことなのだと思います。

 

 

死生のことって、すべての人に共通の出来事であるにもかかわらず、自分の身に起こった時や、今回のように広く周知されるような時にしか、真剣に考えないないようなことの一つなのかもしれません。

しかしながら、一緒に考え続けてみる、ということを頭の隅っこにでも置いておいて、ときに人の死生観を聴いてみたり、誰かと語り合いながら死生について一緒に考えてみたりすることは、これからますます大切になってくるような気がします。

 

死生について考え続けてみることは、独りでもできると思いますが、やはり誰かと一緒に考え続けてみると、きっと死生観や思考にも広がりが出てくるでしょう。

死生観って変わっていくものですし、むしろ上書きしていく方が健全だと思います。

緩和ケアや終末期医療などについても同様のことが言えるのではないでしょうか。

 

たまには誰かとそんな話をしながら、死生について考え続けてみるのはいかがでしょう。

私もこれからも一緒に考え続けていきたいと思います。

そして、いつか(遠くない将来ね)、地域の中でそんな場や機会を設けていきたいと考えています。

 

Thanks,

Chigusa