thousandgrass’s fields

一日一生の毎日を。

死生の対話の場「カフェあの世この世」はじめました。

皆さま、ごきげんよう

だいぶ春らしくなったきましたね。とはいえ、朝晩はまだ肌寒い日がありますので、要注意ですね。花粉症をお持ちの方もお察しします。

私は猫アレルギーがあるので猫のいる実家に帰ると具合が悪くなっていたのですが、とうとう実家で飼っていた3匹の猫がみんな虹の橋を渡ってしまいましたので、寂しくもあります。

 

さて、表題の通り、このたび死生の対話の場「カフェあの世この世」はじめました。

冷やし中華はじめました」みたいになってしまいましたが、、、簡単にご紹介させていただきますね。

 

私はもともと市民のための死生教育のことを考えていたのですが(修論のテーマとしてはボツに)、市民の活きた死生のことは座学ではないよなぁと思い、どのような形が良いかを思案していました。

市民による市民のための死生の(お話ができる)場を設けてみたいと考えていたのです。

大学院でワークショップの講義を受講してみて、ワークショップも出来るかも?と思ったりしていました。(今後ワークショップも考えてみたいと思います。)

そんな中、東海地方での「死生学カフェ」に参加したことがきっかけで、ぜひ東京でも開催してみたいと思い、同じ意思をもつ仲間たち(世話人)と相談をするようになりました。

 

それから数か月を経て、このたび東京で「カフェあの世この世」の初回を開催することができました。

まずはご参加いただいた皆さまに、厚く御礼申し上げます。誠にありがとうございました。

初めての試みで至らない点もあったかと思いますが、何より全員の力で死生の対話の場を創り上げてみたこと、そして恐らく有意義な死生の対話ができたであろうことがとても嬉しかったです。

わりあい短期間で仲間(世話人)のチームで当初の構想をまずは実践に移せたことも、私にはとても嬉しいことでした。個人的に今年はチームの年だと考えていますので、チームで何かを生み出す喜びを味わうことはgreat!なのです。

 

「カフェあの世この世」は、死にまつわる様々なテーマについて語り合う対話の場です。(カフェあの世この世 趣旨書より)

 

ということで、「あの世(=死)この世(=生)」というネーミングも絶妙に言い得ていると思いませんか?

いわゆる「死生学カフェ」や「デスカフェ」の位置づけではあるのですが、「死生学」とか「デスカフェ」と書くとなんだか堅いし小難しそうだしとっつきにくい感じがするので、「カフェあの世この世」という命名を私はとても気に入っています。

 

命名の由来は以前の記事に書いてあります。

当時からこのような場を設けたい思いを綴っていましたので、今回実現に至ったことは念願が叶ったということになりますね。嬉しいし、人生って本当に面白いなぁ。

 

thousandgrass.hatenablog.com

 

今後もし夜の時間帯にお酒を飲みながらの開催が実現する運びとなった時には、もしかすると「スナックあの世この世」になるかも!?しれません。 乞うご期待です。

 

当日の対話のテーマは、予め2つのテーマ(この世のことorあの世のこと)を用意しておき、当日ご参加者+世話人を含む全員の話し合いで一つのテーマを選定することにしました。 

 

そして、今回選ばれたテーマは

「一人称の死・二人称の死・三人称の死」(この世のこと)でした。

 

全員でテーマを選ぶ話し合いから対話はスタートしていましたし、非常に興味深い話し合いになりました。

実は、私はもう一つのテーマ(あの世のこと)が選ばれるんじゃないかな?と思っていたのです。が、見事に私の期待は裏切られました。個人的には意外だったけれど、話し合いの過程は逐一なるほどなぁと感心しきり。テーマ選定のプロセスもとても興味深いものでした。

そして、「対話」ということばの通り、「対」になる意見が出れば出るほど、対話は興味深く面白くなるのだと実感した次第です。

 

本題の「一人称の死・二人称の死・三人称の死」についての対話は、はじめグループで、その後に全体でという流れでしたが、どちらも非常に興味深く、面白く、有意義な対話になったと私は思っています。

参加者全員が自由に自分の考えや意見を自分のことばで語り、それに対する反応や疑問が続いたり、別の視点でのお話も続々と出たりして徐々に対話の場が創られていく。

そのライブ感には良い意味で圧倒されましたし、私は静かにとても感動しておりました。私の未熟だった点につきましては、どうかご容赦くださいませ💦

 

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グラフィックファシリテート(板書の一種)も素晴らしかったお陰で、初回にしては良い対話の場になったのではないかと振り返っております。

なんだか手前味噌みたいになってますが、、、参加者全員のご理解とご協力、これまでのご経験、深い思慮と真摯で正直なご発言の賜物であったことは間違いありません。

 

全員が市民としての対等な立場(&初対面)で、死生についてそれぞれの想いをそれぞれのことばで対話する、という場面を目にする機会はこれまでなかなかありませんでした。

院ゼミなどの学術的な場とは違ったリアリティと説得力がありましたし、人と人との対話って、すごいエネルギーとか叡智とかが生み出されるのだなぁと感じました。

当初より専門家主導ではなく、市民主体での死生の対話が一つの目標でもありました。

 

テーマに対する異なる見方、捉え方、感じ方がまるで地層を重ねるかのように積み上げられて、全員の力でテーマに対する対話が形成されていったように私には見えました。結構幅広く多面的で彩のある対話になった気がします。

当初私が考えていたこととは想像もつかないようなお話にまで発展したことも、驚きであり発見でした。だから面白いのですよね、人と人とが交わるって。私にとっても、とても有意義な経験でした。

 

「死生」にまつわるお話は、タブー感があったり忌避的であったりして、市民の間で自由に語られることはまだまだ少ないのかもしれません。

しかしながら、「死生」のことは人間が全員関わる大切なことであろうと私は考えています。

全員が避けては通れないことなのに、堂々と話すことは避けられがちなのは何故なのでしょうか?

 

今後そんな疑問を払拭していける予感がしています。

「カフェあの世この世」は今後継続開催を見込んでおりますので、今回の反省点を活かしてこれからも大切に育てていきたいと思います。

いずれ皆さまのご参加をお待ち申し上げております。

 

Thanks,

Chigusa