皆さま、ごきげんよう。
東京は酷暑から急に涼しくなったと思ったら、台風の接近が心配されます。
各地で甚大な被害等が出ないことを願うばかりです。
さて、本ブログを書き始めてから1年半以上が経ちまして、拙い記事にもかかわらずお読みいただきまして誠にありがとうございます。
記事をアップした直後のアクセス数は微々たるものですが、実は過去記事がどこかでヒットしてお読みいただいていることも多々あるようです。
その中で、実はアクセス数が最も多いのが、私がひょんなことから社会人大学院生になるまでのお話です。
もしかすると、社会人の方が大学院への入院を検討している際にお読みいただいているのかもしれません。
というわけで、どういうわけか博士後期課程に進学している現在、社会人大学生を経験して得すること、損すること、特に社会での利点や欠点について書いてみたいと思います。
あくまで個人的な意見ですが、どなたかのご参考になれば幸いです。
まず得することですが、意外とこれは沢山あるように思います。
最近一番実感しているのは、
○論理的な文章を書くことに慣れてきた(気がする)
ことです。
特に修士研究を一通りやり遂げて、多少メンタルをやられながらもw修論を書き上げたことは非常に良い経験になりました。当時は辛かったですけれど、今となってはほろ苦い思い出であり、喉元を過ぎれば・・・というね。
苦労して書き上げた修論ですが既に負の遺産認定ですw
内容はともかく、理論立てて論旨の通った文章を最後まで書き上げるという作業がお仕事でも役立っている感じが今になってジワジワと効いてきています。
過去記事で書きましたが、修論研究は長丁場の独りプロジェクトを回しているようなものでした。
修士課程での経験は、きっと事業やプロジェクトの進捗管理なんかにも活かされることでしょう。データの整理とか分析とか考察とかもね。
何より一つの研究を最後まで完遂するという覚悟や腹の括り方は、社会でも役立つのではないかしら。
そして、卒論やら修士の院試やら、修論計画やら博士の院試やら、倫理申請やらで研究計画を何度も何度も書いたことは、
○(事業)計画を立てて文章で説明する、(事業)計画書を作成する
ようなことにも役立っている気がします。
最近お仕事でとある助成制度の申請書類を書いたのですが、書いている途中で研究計画やら修論を書いている時のことが蘇ってきていました。
つまり、手元にある情報を集約して計画を立案する、それを元に論理的に計画を書く、あるいは意義を説明する、予想される結果を述べる、利点を説明する、というようなことが、研究計画書や倫理申請、論文を書く作業に似ていたのだと思います。
お陰様で事業の助成は書類審査を通過して、次の審査に進むことができました。
くわえて学会発表の経験は、各種プレゼンテーションでも役立つのは言うまでもありません。
あと、
○クリティカルな見方をするようになった
ことは、利点であり欠点でもあるかもしれませんね。
論旨が通るように先行研究やエビデンスに基づいた理論を展開することが求められますし、曖昧な情報やら主観だけで意見を述べると指導教員から厳しいご指導を賜ることになりますので、何ごともきっちり説明ができるように先行研究を精査しますし、かなりクリティカルな読み方もするように訓練されます。
特に大学の倫理審査は厳重でしたので、事前のリスク評価や想定される危害に対して予め対策を講じて明記しておくことが必要でした。
これはお仕事でも同様ですし、多様でクリティカルな視点をもつようになるのは利点だといえるのではないでしょうか。
ただし、あまりにもクリティカルな見方に慣れてしまうと、いろいろ気になってしまって見過ごせなくなる、という嫌~な感じの人間になってしまいそうなことは気を付けたいところです。
あとは
○世の中をほんのちょっとでも良くしたいと考えるようになる
のは、個人的には研究の本質だと思っていて、お仕事でもどのようなことに貢献できるかな?とか、どの課題や問題を解決していけばいいかな?とか、以前より建設的な考え方をするようになったかもしれません。
事業においては当たり前のことかもしれませんが、日々の業務に追われて愚痴や文句を言いたくなるような時でも、やっていることの本質は何か、目標とするゴールはどこか、そもそもの目的は何か、主観ではなくて客観ではどうか、というように俯瞰の視点から見渡そうとする姿勢は研究の本質と似ている気がします。
あとは、大学が契約している各種データベースを使用できるとか、場合によっては学生割引が使えるといったことは学生の特権かもしれません。
それから、たとえ指導教員に何を言われようとも、最後まで諦めないでやり抜くっていう図太さが身についたとかね。w
これは社会でも意外と大きな利点かもしれなくて、お仕事で誰に何を言われたとしても、まぁそんなに気にしないことにして、理論的に説明をして論破しようというガッツにつながっているかもしれません。
あまり大きな声では言えませんが、アカデミアの世界では社会では当たり前に通用することが通用しなかったりすることも多々あってビツクリ仰天することがあります。それは逆も然りだと思いますが。
その両方を経験してみると、大概のことがまぁそんなこともあるよね、ぐらいに思えてくるのが摩訶不思議です。変に逞しくなるのかもしれません。
その他にも、特に修士課程を修了してみて、我ながら変わったようなぁとフト思うことはちょいちょいあります。今になって、修論地獄が報われたような気がしています。
逆に損することといえば、
×(高い)学費や交通費が自己負担
×研究に費やす時間を確保しようとすると自ずと余暇や睡眠時間が削られることになる
×お仕事外でもいつも研究のことを考えているので気が休まる暇がない
×TAをやっていると今どきの若者(現役大学生)の言動にビックリしすぎてときどき気を失いそうになる
等というようなことでしょうか。
損すること、というよりは自ら進んでやっていることなので、必要なコストというか自己投資というか。
社会人大学院生としてのお仕事との両立やら研究は決して楽しくはありません。
でも、面白いです。
逆に言えば、面白いと感じられなかったら、やっていられない気がします。
ただ、この年齢になって知りたいと思うことを学んだり研究したりできることは、幸せなことなのだと思います。有難いですね。
とはいえ、私はまだ数年の経験ですし、先も長いのでこの先どうなるやら分かりませんが、今のところ私は社会人大学院生を経験してみて良かったと思っています。
どなたかのご参考になれば幸いです。
Thanks,
Chigusa