thousandgrass’s fields

一日一生の毎日を。

死生について話し合うカフェーいまを生きるための集いー はじめます。

皆さま、ごきげんよう。

 

大変ご無沙汰しております。

前回の投稿から、かなり時間が空いてしまいました。

あっという間に春が過ぎ去り、令和に改元され、梅雨入りして、上半期が終了し、もう7月って、、、光陰矢の如しとはよく言ったものですよね。

 

個人的には博士後期課程2年生になっておりますが、肝心の博論研究は遅々として進んでおらず、さすがにマズイなぁと焦っております。が、お仕事や社会活動等も盛りだくさんで、気ばかりが急いてしまいます。

とはいえ身体は一つなので時間のやりくりですよね、えぇそうですよね。

なかなか慌ただしい日々ですが、心身の調子を崩さないように、何とかうまくやっていきたいと思っています。

 

そんな中で、もう一つ新たな試みをスタートいたします。

私が現在在籍している大学院研究室の院生が主体となった、広義のいわゆるデスカフェ「カフェ カルペ・ディエム」ーいまを生きるための集いー をはじめます。

cafecarpediem.hatenablog.jp

「カフェ カルペ・ディエム」は、日常生活のなかで感じることはあっても、口に出して話すことや考えることが難しい死生にまつわる様々なテーマについて、お茶を飲みながら気軽に意見を述べ合うことで、いまを生きるための何かを得ようとする集いの場です。

 

これまで死生学カフェに参加したり、死と死別をめぐる対話についての勉強会に参加させていただいたり、自死遺族の会「アルファの会@東京」に関わったり、死生にまつわる様々なテーマについて語り合う対話の場「カフェあの世この世」に関わらせていただいたりしておりました。 

 

そもそも私が在籍する研究室は、 緩和医療学・臨床死生学研究室でして、いわば死生についての専門的な学問や研究の場です。

そこで、死生にまつわるテーマについて話し合うカフェの場をもつというのは、ごく自然な流れだと思いますし、むしろ社会の中でその役割を担う必要があるだろうと私は考えておりました。

 

第1回目の開催のご案内を公開していますので、ご興味のある方はどうぞお気軽にご参加くださいませ。

cafecarpediem.hatenablog.jp

 

第1回のテーマは、「障害を持って地域で生きることと安楽死の主張をめぐって」を予定しています。

いきなり初回から難しいテーマのような気もしますが、お互いの異なった感性や考えを尊重できる姿勢を持っている方同士で話し合ってみること自体が、とても大切なことだと考えています。

 

このテーマを設定するに至ったのには、当研究室の院ゼミで「安楽死」についての議論を続けてきているという経緯があります。

くわえて学部ゼミでは大学生を対象とした安楽死についての調査研究や、通信教育課程のスクーリングでは神経難病の専門家のドクター、療法士、看護師の皆さまを招いてレクチャーをしていただいたりして、様々な議論をし続けてきています。

 

慎重に議論すべき重要なテーマだと思いますが、そのきっかけとなった番組 NHKドキュメンタリー - NHKスペシャル「彼女は安楽死を選んだ」や関連の書籍のことについても、別途記事を書きたいと思っています。

 

特に、NHKドキュメンタリー - NHKスペシャル「彼女は安楽死を選んだ」をご覧になった方には、是非以下のご著書も併せてお読みいただくことを私はオススメしたいです。

番組では描かれていなかったとても大切なことが細かく書かれています。

あの番組を見ただけで安楽死の是非が問われることは、とても危ういと個人的には感じています。

安楽死を遂げた日本人

安楽死を遂げた日本人

 

本ご著書でも書かれている通り、番組で取り上げられたのは安楽死の中でも厳密には「自殺幇助」です。

自殺は嫌だけど安楽死は認めてほしい、というような論調は個人的には理解できません。

以前「自殺は(醜いから)嫌だけど、安楽死は個人の権利であるので認めてほしい」と仰った方に遭遇しましたが、自死遺族である私からすると激しい憤りを感じると共に、とても悲しくなりました。

自殺と安楽死の違いは何なのでしょうか。

迷惑をかけたくないから安楽死を認めてほしい、というような論調もよくよく熟考する必要があると私は考えています。

安楽死はほんとうに誰にも迷惑をかけないのでしょうか。

仮に日本でも認められたとして、手を貸す医師はその先も医療行為を続けていけるのでしょうか。医療の安易な手段となってしまわないでしょうか。

さらには、今生きていることは誰にも迷惑をかけていないのでしょうか。

 

前著も併せてお読みいただくと更によろしいかと私は思います。 

安楽死を遂げるまで

安楽死を遂げるまで

 

 

こうして死生にまつわる様々なテーマについて、みんなで考えたり、話し合ったりするというのは、 とても大切で必要なことだと考えています。

性急に正解を求めたり、是非を問うたりするのではなく、みんなで考え続けて対話を続けることに、意味があって大切なことなのだと、私は思っています。

是非皆さまも、ご一緒に考え続けて、対話を続けて参りましょう。

 

今日はこの辺で。

 

Thanks,

Chigusa

 

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