一見オサレなプロムナード風ですが、
夜のキャンパスの様子です。
ここを通って2時間の道のりを帰ります。
遠い、、、。💧
皆さまごきげんよう。
千草です。
突然ですが、
考えていたこと、願っていたことが実現するには時差がある(こともある)。
ということを実感した出来事がありました。
2年前ぐらいに、お仕事でとある開発プロジェクトに関わっていたのですが、
あとは導入を残すばかり、というあと一歩のところで頓挫(=PJ凍結)してしまうという悲しい出来事がありました。
つまり、およそ2年もの間、開発した高額な成果物が塩漬けになっていたんです。
ところが、この塩漬けプロジェクトがつい最近突如として復活することになって、とうとう日の目を見る気配が濃厚になってきました。
私にとっては青天の霹靂ってやつです。
要するに、このプロジェクトが実現するまでには、
塩漬けの2年間という時差があったというわけです。
そこで思い出したことがあります。
私が約10年前に前職を退職する時に、「死ぬまでにやりたい100のこと」リストを作ってみたのです。
まず、それから1年以内に10個実現したんです。
これは、1年以内の時差ってことですよね。
このままいけば、10年で100個実現しちゃうじゃん!と、単純に思わったわけですが、まぁそんなわけにもいきませんでした。だよね。
でも、10年後になってやっぱり突如棚ぼたのように実現したことがありまして、10年の時差もあったわけです。
つまり、考えたこととか、願ったことが実現するには、時差がある(こともある)ってことだと思うのです。
たとえば、私たちは研究をする際に先行研究の調査をしたりします。
先人達の過去の先行研究をベースとして、新しい知見や発展を見出していこうとするわけですが、先人達にしてみれば、ウン十年後の研究論文の参考文献に引用される、ってこともよくあるわけです。(もちろん優れた研究だから、なんですが。)
いわばウン十年の時差もあるってことですよね。
私も自分の研究計画を構想していて、こんなことやって意味あんのかな?とか、
妙に冷静になってしまうことがあります。
でも、もしかしたら時差を経て何かの役に立つかもしれないなら、やっぱり今自分がやろうとしていることには意味があるだろうと思えます。
考えたことや願っていることが、必ずしも直ぐに実現するとは限らないということは、逆にいつ実現しちゃうかも分からないってことですもんね。
まぁ、もし永遠に実現しなかったとしても、それはそれで良しと思いますし、もし時差を経て実現したら、超ラッキー☆って思えるから、なんなら塩漬けでも良いのかもしれないですけどね。
果報は寝て待てって、
ある意味ほんとうかもしれないね。
というお話でした。
おしまい。
Thanks,
Chigusa